新日本プロレスは旗揚げ40周年イヤーの2012年1月31日に、ブシロードを親会社とする新体制に移行したことで、プロレス業界の盟主に返り咲いた。
トレーディングカードの開発・販売を手掛けるブシロードは、自社のカードゲームのCMに棚橋弘至、中邑真輔、真壁刀義らを起用。8月の「G1クライマックス」では、JRと東京メトロで大々的な広告戦略を展開した。この世間に広く発信するブシロード新体制に合わせるように、〝レインメーカー〟オカダ・カズチカという新たな逸材が出現したことも大きかった。
一方の雄・全日本プロレスは、年明け13年1月3日の後楽園ホールにおいて公開契約という形で、武藤敬司の闘魂三銃士の盟友・蝶野正洋をアドバイザーとして迎え入れることを発表。
新年1発目のビッグマッチとなった1月26日の大田区総合体育館には、前年末でプロレスリング・ノアを退団してバーニングなるフリーユニットを結成した、秋山準、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志の5選手が来場して全日本参戦を宣言。全日本にも新たな風が吹き始めた。
そして2月23日の後楽園ホールでバーニング5選手が全日本マットに揃い踏みし、その2日後の2月25日、新体制発表記者会見。
企業再生支援会社スピードパートナーズ(以下、SP社)の白石伸生オーナーが前年11月1日に全日本を買収、新会社の株式会社全日本プロレスリングシステムズを設立して、全日本の興行は新会社が展開、旧会社は過去の映像コンテンツなどのコンテンツ保存会社として存続されることが発表された。これに伴い、武藤会長&内田雅之社長体制にSP社から三阪輝社長が副社長として加わった。
話は前後するが、武藤から内田に社長が交代したのは11年6月。同年5月29日の神戸サンボーホールで試合後にブードゥー・マーダーズ(以下VM)のスーパー・ヘイト(平井伸和)が急性硬膜下血腫で緊急搬送されたが、試合前にVMのリーダーのTARUがビジネス上の口論から殴打したことが明らかになり、武藤は社長を引責辞任。取締役として武藤を支えてきた内田が社長、武藤は会長になったのである。
ちなみに武藤と新オーナーの白石は旧知の仲。02年に武藤が新日本から全日本に移籍して、馬場元子オーナーの全日本の株式を買収する際に資金面で援助することになっていたのが、ITベンチャー社長だった白石だ。しかし武藤が全日本に移籍した直後にITバブルが弾けて、白石の事業も頓挫した過去がある。それから11年の時を経て再び2人は結び付いたわけだ。
白石は「私は陰ながらのサポートになりますが、この会社が活性化する投資を積極的にしていきます」と語り、ここまでは全日本の救世主だった。しかし、直後から自身のフェイスブックやツイッター(現Ⅹ)で「新日本は演劇だが、全日本はリアルなガチンコプロレスを目指す」「全日本のリングで総合格闘家とプロレスラーを戦わせたい」「KENSOは現在のスタイルを変えなければリストラ」などと過激な発信を連発したから業界は騒然となり、新日本は態度を硬化させて両団体は国交断絶に。
選手の反発も大きく、3月17日の両国国技館における新体制初のビッグマッチで三冠戦を行う王者・船木誠勝は「リングの上は選手が守っていく。リングの上は選手、ファンの皆さんのもの」と発言。挑戦者の諏訪魔も「オーナーに言っとけよ、俺はプロレス一筋でいくって。総合なんてクソ食らえだよ」と吐き捨てた。
果たして、当日に事件が起きた。大会自体は9000人(満員)の観衆を集め、バーニングの秋山&潮崎が大森隆男&征矢学のゲットワイルドを撃破して世界タッグ王座を奪取。諏訪魔が船木に勝利して1年5カ月ぶりに三冠ヘビー級王者に返り咲くなど盛り上がったが、問題は全試合終了後だ。
照明も落ち、観客が会場をあとにしようとするところで白石が突如としてリングへ。ブーイングの中で観客に新オーナーとして自己紹介をした後に「内田! これを見ろ! 今日の客入りで超満員とか発表するなよ、お前。リアルな客数、これからは新日本と勝負していけ。仲良しプロレスはするな!」と観客の前で内田社長を叱責。
さらにリストラ候補と名指ししたKENSOがリングサイドに姿を現すと、リングに呼び込んだから場内がざわめいた。
リング上でKENSOと白石の口論が始まり、遂には「お前にガチができんのか、コラ!」と白石がKENSOに張り手を食らわせる暴挙。ここに、フリーとして全日本に参戦している佐藤光留がリングに飛び込んで摑みかかる一幕も。
白石は周囲に守られてリングを降りると早々と引き揚げ、スタッフに制止されてバックステージに連れ戻された光留は号泣。この騒動に会長の武藤は「落としどころが見えない」と沈痛な面持ちだった。
小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。
写真・山内猛