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〈藤波辰爾が「師弟確執の真相」を追悼告白〉西村修「説法レスラー」との謝罪なき別れ

 プロレスラーで現職の文京区議会議員だった西村修氏が、ガンとの闘病の末、2月28日に53歳の若さで急逝した。深い悲しみがプロレス界を覆ったが、とりわけ哀惜の念に強く駆られたのが、西村氏の師にあたる藤波辰爾だろう。長らく断絶状態にあった師弟の再会を目前に永遠の別れは訪れた‥‥。

 西村氏は1990年に新日本プロレス入門、翌91年4月に19歳でデビュー。細身でソフトな顔だちとあって、新人時代から女性ファンを中心に人気を獲得した。当時、同団体のツートップに君臨していたのが、80年代から熾烈なライバル闘争を繰り広げてきた藤波と長州力で、直線的なパワーファイターの長州とは対照的に、卓越したテクニックを本領とする藤波に西村氏は傾倒していった。

 93年春に開催された若手リーグ戦(ヤングライオン杯)で準優勝の成績を残し、同年夏に海外武者修行へ出発。翌94年末に凱旋帰国の指令を受けたが、これを拒否したことでマッチメーカー(現場責任者)を務めていた長州に反旗を翻す形となったが、その際、拠りどころとしたのは藤波だった。

 95年秋に藤波が新日本に籍を置いたまま別ブランド「無我」を興すと、見た目が派手な大技に頼らず細やかな技術の攻防に重きを置くクラシカルなスタイルの復興を目指す「無我」の理念に共鳴した西村氏は時を同じくして帰国。藤波の右腕となって、ともに理想のレスリングを追求する。

 後腹膜腫瘍を患って98年秋から長期欠場に入ったが、00年6月にリング復帰。その初戦では藤波の胸を借りた。療養期間中にはインドを訪れ、ガンジス川で沐浴した体験を経て一種の悟りを得たという。01年9月には藤波と師弟コンビでIWGPタッグ王座に就くまでに復調。また、リング上から静かな口調で語りかけ、時には社会問題にも切り込む独特の〝説法〟でも耳目を集め、のちに政界へ進出する片鱗をのぞかせた。

 06年1月に新日本を離脱し、同年に藤波ら同志と無我ワールド・プロレスリングを設立。同団体の中心選手として活躍したが、翌07年10月18日、無我ワールド・プロレスリングの後楽園ホール大会終了後、全日本プロレスの興行が開催されていた代々木第二体育館に直行し、そのまま移籍する前代未聞の〝亡命事件〟を起こしたため、師・藤波とは断絶状態となった。

 その後、西村氏は10年3月に政界進出を表明。プロレスを休業して同年夏の参院選に国民新党から比例代表で出馬も落選。11年4月の文京区議選で初当選を果たし、食育に力を注いで23年まで4選を重ねた(12年に国民新党を離脱して無所属に)。

 政治活動の一方で、11年からはフリーとしてリングに立ち、近年は対極の存在と思われた〝邪道〟大仁田厚とも電流爆破デスマッチで相まみえた。昨年4月に食道ガン(扁平上皮ガン)でステージ4の状態にあることを公表。食道から転移した脳腫瘍を摘出するため10月28日に開頭手術を受けてから41日後の12月8日に大仁田らと電流爆破8人タッグマッチを闘う。その一戦が結果的に生涯最後の試合となったのである。

 今年1月31日に後楽園ホールで開催されたジャイアント馬場の追善興行を体調不良のため無念の欠場。そこで西村氏に代わって緊急参戦したのが、旧師・藤波だった。当日、藤波は試合後に「まだ若い彼が、またリングに上がってこられるように、その祈りを込めて(リングに)上がりました。頑張ってリングに上がってこい!」と西村氏に熱いエールを送り、師弟の再会の日は近いと思われた。

 しかし、病状が好転せず対面がかなわぬまま、西村氏は帰らぬ人となった。

 藤波は、記者の取材に応え、「彼の病状については、もちろん聞いていましたけど、あまりにも急なことだったので、びっくりしましたね‥‥」と、訃報に触れての胸中を明かす。

 さらに、「長く一緒に過ごしてきた間柄ですからね。彼の活躍というのは、どこかで( 気にかけていた)」「彼が自分に会って謝りたがっているというのは、人づてに聞いていましたが、結局、会うことはできないままで‥‥。ただ、彼のそういう気持ちは自分の中で了解していましたので」と、西村氏への想いを吐露する。

「若気の至りで僕のところから飛び出しはしましたけど、彼も時間が経つにつれてだんだん自分のやったことの申し訳なさは感じていたでしょうから。僕自身は、(西村氏が電撃移籍した)当初は感情的になった部分もありましたけど、いろんなことをのみ込んで一切そのことに触れずにきたので。自分の中では(過ぎたことだと)終止符を打ってましたね」

 と、もはやわだかまりは溶けていたと話す。

「1回、彼を自分のリングに呼んでやりたかった。(コンディションが整わず)試合ができなかったとしても、彼が僕と会って過去のことを詫びるような場面を作ってやりたかったですね」

 無我ワールド・プロレスリングからドラディションへと改称した自身の団体に西村氏を招きたかったのだ。が、藤波のプランは幻に終わった。最後に亡き愛弟子にこう言葉をかける。

「長い闘病生活お疲れ様ということと、過去のことは気にしないでお休みくださいと伝えたいですね」

 3月8日に営まれた西村氏の告別式では、くしくも電撃移籍事件当時の全日本プロレス社長だった武藤敬司(23年現役引退)と藤波がプロレス界を代表して弔辞を読み上げ、別れを告げた─。

写真・山内猛

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