まさに色気も演技も今が“旬”の小池だが、現在のポジションにたどりつくまでには、いくつもの挫折があった。そもそもデビュー時からして、「女優失格」の烙印を押されるという最低のスタートだったのだ。
小池の芸能界入りは98年。名物社長・野田義治氏率いる芸能事務所「イエローキャブ」からデビューしている。当時のイエローキャブは言わずと知れた“ナイスボディ軍団”で、グラビアブームを牽引する存在だった。小池もFカップを武器に頭角を現したのは周知のとおりだが、実は芸能界入りした当初の彼女は女優志望であり、「お芝居をやりたい、絶対に水着にはならない」という約束で事務所に入っていたのだ。デビュー時からグラビアやインタビュー記事など何度となく一緒に仕事をしてきたという元週刊誌編集幹部が話す。
「意外でしょうが、スカウトされた当時の小池はダイエットをしていたこともあって、胸はそれほど大きくなかったんです。野田社長も『事務所として初めて、水着をやらないタレントとして売り出したい』としていたんですが、いざデビューに向けて業界への挨拶回りを始めた頃にはリバウンドや成長期もあってどんどん太り始めてしまった。テレビ局のプロデューサーからは『痩せないと映像はキツい。使えません』と辛辣な“女優失格”のダメ出しを食らい、本人もかなり落ち込んだそうです」
野田社長からは「お前にはダマされた」「水着は嫌だなんて言ってる場合か。痩せないと仕事がないんだよ!」とあきれられ、しぶしぶグラビアをやることになったものの、その後もマネージャーからは「こんなブサイク売れない」「痩せろ」と厳しい言葉を浴びせられ続けたという。
アイドル評論家の堀越日出夫氏が話す。
「のちに小池自身も、『この時の決断が一生でいちばん腹をくくった瞬間だった』と明かしていますが、ここでふんばったことで芸能界での活路が開けた。野田さんの『最初は水着で世に出して、そこから徐々に服を着せていく』というプロデュース手法がピッタリとハマったようで、以降は人気も知名度も急上昇していきました」
元週刊誌編集幹部は、当時の小池の魅力をこう分析する。
「胸が大きいというだけではここまでの人気は出なかったはず。やっぱり性格のよさも大きかったのではないですか。事務所の教育もあってスタッフへの挨拶などの礼儀はもちろん、撮影後には全スタッフにお礼の手紙を書くといった地道な気遣いも続けていましたからね。グラビア撮影の現場では“お姫様扱い”されるため、どうしても勘違いしてしまう子が多いのですが、小池は逆に自分から笑わせて雰囲気を盛り上げたり、ショーツなどの小道具までちゃんと自分で用意していましたからね」