かつて「画家」を目指した少女は、日本最難関といわれる東京芸大の油画専攻を3度受験した。東京都東村山市の子安潤市議である。彼女が言う。
「受験者が2000人いて、合格するのは50人ほど。一次試験は大相撲で知られる国技館でやりました。テーマを与えられて、鉛筆と消しゴムを使って自分なりのデッサンをするんです。たとえばテーマが『鏡』だったりすれば、鏡に映った何かを描くのも、鏡から連想する心象風景を描くのも自由。ただ単にテクニックがあるかどうかではなく、総合的な表現力を求められました」
残念ながら、3度とも不合格に。美術の専門学校に入学し、卒業後はその学校の契約職員になった。その後は出版社や地方新聞、医療関係のコンサルタント会社など様々な仕事を経験しつつ、知人を通して政治と宗教の関係に関心を持つようになり、疑問を感じていた。
「政治と宗教の癒着、特に統一教会や創価学会と政治の癒着が社会問題になっていますよね。信教の自由はもちろん尊重すべきです。でも、特に創価学会は完全に政治に入り込んでいる上に、今は政権与党として組織の利益を優先した活動をしている。これおかしいよね、と感じていました」
だが、自分が率先して議員になり、議会で声を上げようとまでは考えていなかった。あくまで一市民として、新聞や本の制作を任されたりしていくつもりだったのだ。
そんなある日、知人から電話がかかってきた。「東村山で選挙に出てみないか」というのだ。もともとともに活動していた東村山の議員が亡くなり、いわば「後継者」として出てほしい、と。2023年4月の選挙まで、あと半年の時期だった。
「まさか自分が議員になるなんて考えたこともないし、政治なんて素人だし、絶対に無理だと思いました。なので、最初は断りました。でも、絶対に嫌だと思ったんですが、お鉢が回ってきてしまったのだから、やるしかないと腹をくくりました」
実際に東村山で動き始めると、「政治と宗教の問題」だけでなく、取り組むべき地域の問題がいろいろ見えてきた。
まず、とにかく多摩地区の中でも福祉にかける予算が少ないこと。人口が15万人以上もあり、都営住宅は13ある町の全てに建てられているものの、いわゆる富裕層はあまりいないため、なかなか税収は伸びない。どうしても国からの補助金に頼らなくてはならないのだが、それがなかなか福祉などに回っていないのだ。
「東京のベットタウンとして「子育てするなら東村山」などと掲げています。でも子育て支援策はいつも、他市に後れをとってきているんです。子供の貧困が2割にものぼる現状を、なんとかしなくてはいけません」
そのために行政が一部の勢力と癒着せず、公正に市民のニーズに合った税金の使い方がなされるように、しっかり「監視役」になろうと決意した。
選挙は特定の「地盤」を持たないにもかかわらず、2500票余りを集めて上位当選。
「いったいどんな方に票を入れていただいたのか、いまだによくわからないのですが、期待に応えたいと思います」
それだけ市民は、現状からの変化を求めているのではないか。
昔ながらの地元の「顔役」ばかりが市政を動かす時代を終わらせ、市民が「住んでよかった」と感じられる東村山にしたい…そう意気込む彼女の今後に期待したい。
(山中伊知郎/コラムニスト)