アイドルグループ「G☆Girls」のメンバーとして活動し、グラビアアイドルとしても知られていた永井里菜。彼女が本格的に政治の世界に飛び込もうとした要因は、その生い立ちにあった。
「私が4歳、兄が6歳で妹が1歳の時に母が離婚して、ずっと母子家庭で育ったんですね。そのあと、障害者だった叔母の介護をしたことがあって、いつかは世の中で困っている方々をフォローするお手伝いがしたい、と考えていました」
枝野幸男衆院議員の「国民の誰もが取り残されない社会を目指す」姿勢に共感して、その門を叩いた。2023年の統一地方選挙でさいたま市議選に立候補するのを決めたのは、選挙の1年前だ。JR高崎線の宮原駅、川越線の日進駅をはじめとした、地元での朝6時半くらいからの駅立ち、チラシ配りなどを連日、続けた。
「地元といっても名前も知られていないし、親の地盤もありません。お祭り、餅つき、清掃活動などあらゆる行事に参加して、まず名前を覚えていただくことを心掛けました」
その中でとにかく悩まされたのが「元グラビアアイドル」という前歴への誹謗中傷だった。「グラビアで性を売りものにしていた女を議員にするな」とのSNS投稿が繰り返し行われ、バックアップする枝野事務所にも、グラビアアイドル時代の写真やDVDなどが、嫌がらせのようにポストに投げ入れられたり。それは公認した立憲民主党の党本部にまで、送り付けれられたという、
さいたま市議会のある議員からは「ああいう人間が議員になるのはおかしい」
とする請願まで出された。この議員はわざわざ彼女のDVDや写真集を購入して、他の議員に「どうです、ひどいでしょ」と見せて歩いたという。彼女を誹謗するチラシを作り、選挙区内に配布したりも。ほとんど「ストーカー」じゃないか、と思うほどの入れ込みぶりだ。それに対して彼女はどうしたか。
「毅然とした対応でやり過ごすしかありませんでした。私がグラビアをやっていたのは事実ですし、誇りをもって活動していましたから」
統一地方選挙では派手なパフォーマンスをいっさいやらず、地道にシングルマザーや障害者の支援を訴える、オーソドックスな選挙戦に終始した。過去の「肩書」にとらわれずに「私自身」を見てほしい、との気持ちからだ。
結果として、さいたま市議選の北区選挙区で、定員7人の7位当選。たび重なる誹謗中傷を乗り切って、議員の座を掴んだのだ。
ようやく地元住民のために働けるとホッとした彼女は、すぐに懸案だった「シングルマザー問題」に取り組んだ。
「すでに兵庫県明石市では実施していた養育費の立て替えサポートの問題も、議員になってすぐの一般質問で取り上げました。離婚しても元配偶者から養育費がもらえなくて困っているお母さんが多い、それを立て替えられないか、と。これはさっそく、2024年4月に施行されました」
とにかく人口流出阻止が課題になっている日本の市町村が大半な中、さいたま市は流入人口が多く、子供も増えている。だからこそ、少しでも子育てしやすい環境を作るのが急務なのだ。そこで彼女は「放課後児童クラブ」の充実にも力を注いでいる。
より身近なこととして、東武線の北大宮駅と大宮公園駅の踏切の道幅が狭くて危険なのを改修できないか、といった問題にも取り組んでいる。
「当選して変わったのは、街を歩いていて地元の皆さんと立ち話をする機会が増えたことです。どちらかというと高齢者の方が多いですが、よく声をかけていただくようになりました。最近では、ゴミ回収の話も多いですね。ペットボトルなどは透明の袋に入れなくてはいけなくなったけど、どこに行けば買えるのか、って聞かれたり」
努めて20代の若い人たちと話をするようにもなった。
「若い人たちの、将来への不安はとても深刻です。結婚はしたくても収入が少なく不安だとか、そもそも出会い自体がないとか。彼らの声を拾って市政に生かすのが、私たちの大事な使命だと思っていますから」
さて、「グラビアアイドル」だったことが今の議員活動につながっている面はあるのか聞いてみると、
「直接つながっているとは思えませんが、人前に出るのや、人とコミュニケーションをとるのが苦にならないのは、芸能のお仕事をやっていたおかげかな。スタッフやファンの皆さんや、いろいろな方々と話をすることが多かったですから」
かつてのファンの中には、選挙運動中に応援に来てくれたり、選挙後も駅立ちで演説中に声をかけてくれる人がいる。
議会ではよく、セクハラ被害を受ける女性議員がいるというが、
「ないですよ。議員になってすぐに、議員全員にハラスメント研修があったりして、厳しくクギを刺されますから」
そりゃそうだ。「セクハラ議員」のレッテルが貼られたとたんに、政治生命が吹っ飛びかねない時代。オジサン議員はうかつなことができないのだ。
(山中伊知郎/コラムニスト)