ドミニカ共和国出身で、中日、DeNA、オリックスで活躍。野球ファンの脳裏に焼き付いているのは来日1年目、中日での「打撃二冠」の大爆発ではなかろうか。あの大砲トニ・ブランコ氏が急死したという衝撃ニュースが飛び込んできた。
4月8日未明、ドミニカ共和国の首都サントドミンゴのナイトクラブで起きた天井崩落事故に巻き込まれたというのだ。事故当時、クラブでは人気歌手のショーが開催されており、500人から1000人が場内にいたとみられる。
現地メディアによれば、少なくとも66人が死亡したというが、その中にはブランコ氏の他に元メジャー投手オクタビオ・ドテル氏もいた。元西武のエステバン・ヘルマン氏は事故前に店を出ていたため、無事だった。
中日では開幕から全試合で4番に座り、39本塁打、110打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。前年に退団したタイロン・ウッズの代わりを期待されての入団だったが、年俸はウッズの6億円に対し、22分の1未満の2700万円という超格安契約だった。
2013年にDeNAに移籍したが、この年は打率3割3分3厘、136打点で、またもや二冠を獲得。41本塁打を量産したが、バレンティン(ヤクルト)の60本に届かず、三冠王とはならなかった。チームは4位に沈んだが、孤軍奮闘するブランコ氏の姿は、ファンの支えだった。
3球団を渡り歩き、複数の監督の元でプレー。最もやりやすかったのは落合博満監督だったといい、
「どんな時でも喜怒哀楽を見せない。監督が常に同じ態度だと、チームの雰囲気が引き締まる」
と評価していた。一方で中畑清監督に対しては、
「コメディアンみたいだった。まぁ、ヨコハマにいた時はチームは負けてばかりで、彼はマネージャーとしてどうかと思ったけど、とにかく楽しい人だった」
冗談めかしながらも辛辣だった。
身長188センチ、体重102キロの巨漢から放つ特大本塁打とバット投げ。最強助っ人の44歳というあまりにも早すぎる死に、球界は大きなショックを受けている。
(ケン高田)