プロレスラーとして一時代を築き、硬派なキャラクターで「組長」としてバラエティー番組でも活躍した藤原喜明。実は天才テリーとも浅からぬ因縁があった!組長が今でも忘れられないその出来事とは? 師匠・アントニオ猪木への愛が炸裂した一本勝負のゴングが鳴る!
テリー 組長、ご無沙汰してます!
藤原 おう、ご無沙汰。もう30年ぶりぐらい?
テリー そんなに経ちますか。
藤原 お互い、後期高齢者の仲間入りだな。(誕生日は)12月27日だろう。俺が4月27日なんで。
テリー もうすぐ76歳だ。
藤原 そうだよ(笑)。
テリー それ、何持ってるんですか。
藤原 これ? コーラ(※本当はウイスキー)。
テリー お酒飲んでるの?
藤原 そうだよ。
テリー 何で飲んでるんですか、昼間から。
藤原 昼間だから飲むんだよ。俺は仕事中以外は飲まねぇんだ(笑)。
テリー どのぐらい飲むの。
藤原 こういう仕事がある時は、昔はだいたいボトル3本ぐらい飲んだよ。
テリー あ、そう。健康管理は?
藤原 ないない、そんなもの。好きなものを食って、好きなことをやるだけ。
テリー 病院は?
藤原 ほら俺、18年ぐらい前にステージ3の胃がんやっただろう。5年生存率が41.7%、当時はね。それで15年ぐらいずっと病院に行ってたんだけど、まあ、この年になって「もういいや」と思って、3年ぐらい行ってない。
テリー 行ってくださいよ!
藤原 いやいや、そんなことはどうだっていいんだよ。お前、クマと戦わせやがって、この野郎!
テリー アハハハ。あの時って40代でしたっけ?
藤原 そうだよ。「ちょっと行け」とか言っといてさ、(飛行機の)俺の隣、空席なんだもん。
テリー カナダまで行ってもらったんですよね。
藤原 行ったよ。「クマと戦え」って言われてさ。俺も逃げるの嫌だからさ、「いいよ」って言ったんだよ。「俺、合法的に殺される」と思った。
テリー 怖かった?
藤原 当たりめぇだよ! 何で来なかったんだよ、この野郎!
テリー さっきネットでその映像見たんですけど、けっこう大きかったですね。
藤原 いや、そんなに大きくねぇんだよ。だけどね、あっちで聞いたんだけど、クマは小さいほうがスピードがあるから怖いんだって。大きいとおっとりしちゃってるらしいな。
テリー なるほど。
藤原 それから季節。あのクマはペットだったんだけど、飼ってる奥さんが言ってたよ。「夏の間はいい子なんだけど、冬眠前の今は私だって殺されるわ」って。飼い主が「殺される」って言ってるんだよ。俺、まったくの他人だよ?
テリー それは怖いね。
藤原 ちょっと待て、何、他人事みたいなこと言ってるんだよ! あのね、飼い主の男が身長2メートル以上あってさ、「準備できました」って、来たら血を流してるんだよ。「どうしたの?」って聞いても「うん、ハハハ」みたいな感じで。だから俺、スタッフに「大丈夫だろうな?」って言ったの。そしたら、「大丈夫です、ちゃんと保険に入ってますから」って。
テリー アハハハハハ。
藤原 お前この野郎! スタッフもヤバいと思ってるじゃねぇか! ホント、とんでもない現場だったよ。
ゲスト:藤原喜明(ふじわら・よしあき)1949年、岩手県生まれ。地元の高校を卒業後、機械メーカーの工員やコックなどを経て、1972年「新日本プロレス」入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と呼ばれる。アントニオ猪木のスパーリング・パートナーも務めるなど、その強さには定評があった。1984年「第1次UWF」に参加。その後、「新日本」復帰、「第2次UWF」参加を経て、1991年「藤原組」旗揚げ。解散後はフリーランスとして「新日本」を中心に多くの団体に参戦。また「組長」の愛称で独自のキャラクターを確立し、プロレス以外に俳優、ナレーター、声優などでも活躍。「猪木のためなら死ねる! 2『闘魂イズム』受け継ぎし者への鎮魂歌」(宝島社)発売中。