テリー 「ダメなときほど運はたまる」という本を書かれていますけど、これって新しい価値観ですね。
萩本 僕の人生の中で、運って真正面から来たことがないの。「これがしたい」っていう仕事は来たことがない。いつも嫌な仕事ばっかり来るわけ。でも「嫌だ」って言えないからやると、次の大きな仕事にぶち当たるっていう。
テリー そういう嫌な仕事をやる時の気持ちって、前向きなんですか。
萩本 どうせ嫌な仕事なんだから思い切りやろう、それで怒られたら早くやめられるし、みたいな感じ。例えば、僕は司会はやらないって言ってたのに、「スター誕生!」の司会の仕事が来たの。だから、怒られたらやめてやろうと思って、アドリブで客席から子供を上げていじっちゃった。あとで「すみません。今週でやめさせていただきます」って言えばいいかと思って。そしたら、ディレクターが「これはおもしろいから、今後もやったほうがいい」って言うんですよ。そのことから「素人っておもしろい」って気づいて、次に作った番組は全部素人がメインですから。
テリー そうでしたね。
萩本 嫌な方に向かったほうが、絶対に運があると思う。だって、僕がコメディアン修業してて、一番嫌だなと思ったのは坂上二郎さんだよ。その人から「一緒に(コントを)やろう」って電話が来たのは、凄くショックだった。
テリー 何がそんなに嫌だったんですか。
萩本 一緒に出たら(芝居が)しつこいんです。でも、よく考えたら、しつこいんじゃなくて、僕よりうまかっただけなんですよ。「じゃあ1回だけね」って言ってやってるうちに、結局、二郎さんが亡くなるまで一緒にやってた。亡くなって「二郎さんっていい人だったんだ」って初めて気づいたんだよ。だって、二郎さん、僕に文句ひとつも言ったことないんだよ。年も7つ上なんだけど。
テリー そうなんですか。欽ちゃんにムチャなことばかりさせられてましたよね。
萩本 そうでしょう? あんなにどついたり、張り倒したりして。
テリー 二郎さんってどんな方だったんですか。
萩本 コンビ組んだ時に「だいたいコンビって仲が悪くなるから、長く続けるには深くつきあったり、会話をしないことだね」って言って、それらは一切禁止。
テリー えっ、プライベートのつきあいを?
萩本 はい。でも、僕が抵抗ありそうなことはすぐ察してくれたり、逆に番組の打ち合わせなんかは完全に僕に任せてくれた。「俺は欽ちゃんにずっとついて行けばいいんだから」って。涙が出るほど、最高の人だったなって思った。
テリー 二郎さんの最期には、どんな言葉をかけたんですか。
萩本 いやいや、あの人はどんなに涙を流しそうなシーンでもギャグにする人なんです。明治座で「今日ね、僕を治してくれた先生が客席に来てるんだ」って言って、先生に向かってね、舞台でいいセリフを言って泣かしてくれるのかなと思ったら、「先生! 先生のおかげで体がよくならなかった!」って(笑)。
テリー それはすごいね。
萩本 みごとなコメディアン。最後に見舞いに行った時、帰ろうとすると二郎さんが「欽ちゃん」って言って、手を出したの。握手しようっていうことなんだね。握手したら、何も言わないで、ただにっこり笑ってた。ここでセリフはいらないっていうのは、コメディアンの最高のおしゃれなんだけど、これがこたえてね、泣けてきてたまらなかった。それが二郎さんとの最後の別れだったね。
テリー 今後どんなことに挑戦してみたいですか。
萩本 この年になると、何がどこまでできるかわかんないんだけど、「何もない」って言うと元気のないオヤジに見えるでしょう。だから今はこう答えてるんです。「教えない」(笑)。
テリー ハハハ、これはやられた。
萩本 実は何にも答えてないんだけど、何かありそうな気がしていいでしょう?
◆テリーからひと言
駒澤大学野球部に入ったら、ぜひ総監督になって、マイクを使って盛り上げてください。僕も神宮球場へ応援に駆けつけます。