70年代という季節には、特有の「挫折感」があった。時代の退廃的なムードは「女優の気質」にも影響したが、唯一、こうした風潮に背を向けたのが島田陽子だ。あくまで背筋を伸ばした演技を第一とし、マドンナとして欠かせない存在だった。もっとも、ただの清純派ではない一面は、たびたび世間を騒がせた──。
わずか1秒にも満たないシーンだった。愛人である天才ピアニスト・和賀英良(加藤剛)との情事を終えたホステスの理恵子は、ベッドから起き上がると乳房があらわになった‥‥。74 年に公開され、同年の映画賞を総なめにした「砂の器」(松竹)のことだ。
理恵子に扮した島田陽子(58)にとっては、これが初めての「ベッドシーンらしきもの」となった。ドラマでは清純派で売っていたこともあり、シナリオを手にすると、監督の野村芳太郎に提言している。
「この場面はカットしていただけませんか?」
野村は悠然と、なぜなのかと聞く。
「私は肉体美で売っているわけではないので、恥ずかしいんです」
まだ20歳にもなっていない島田にとって、精一杯の理由づけだった。すると野村は、女優のあしらいに長けた監督らしく穏やかに答える。
「あなたが演じる理恵子は“薄幸の女性”なんです。そんな人の胸が大きかったらおかしいでしょ? だから、あなたにはピッタリなんですよ」
鮮やかな切り返しである。島田は名匠に乗せられるがまま、初めてのヌード撮影に臨んだ。
「私も緊張していましたが、事務所の社長もどうしていいかわからず、そのシーンの撮影には姿を見せなかったんです」
島田が言うのも無理はない。70年代におけるドラマ界において、その役割は明確であった。例えば、正義感にあふれた父親なら宇津井健、知的で善良な人物なら山本學、くせのある悪女なら小川真由美、ナイーブな若者は火野正平、天才子役は坂上忍か杉田かおると決まっていた。
島田は「一点の曇りもない良家の子女」という役柄で重宝された。ドラマでは「華麗なる一族」(74年/MBS)の万俵二子役、「白い巨塔」(78年/フジテレビ)が代表例だ。
島田の正式なデビューは71年の「続・氷点」(NET)であるが、悲劇のヒロイン・辻口陽子を演じ、最終回には42・7%という驚異的な視聴率を記録。一躍、売れっ子女優として引っ張りだこになった。
「私のような“硬筆なタッチ”の女優さんが、当時はあまりいらっしゃらなかった。それもあって、たくさんの出演機会に恵まれたかもしれません」
当時、筆者は熊本に住む小学生だったが、島田もまた、高校までを熊本で過ごしている。それまで熊本出身の女性有名人は、水前寺清子、八代亜紀、石川さゆりが“毛筆なタッチ”の情念を押し出していたため、島田のようなタイプが「火の国の女」であることに驚いた記憶がある。
また70年代当時、171センチという高身長も珍しかった。そのため、デビュー直後に出た「初めての愛」(72年/東宝)では、こんなエピソードがある。
「志垣太郎さんと、海岸でのキスシーンだったんです。ところが、私の背が高いために画面のバランスがよくない。なので私の足元の砂を掘って、見上げる形にしての撮影でした」
何とも牧歌的な1コマである。
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