70年代が終わろうとする数年間、1人の少女が鮮やかにスクリーンを舞った。決して大規模ではない作品ばかりが続き、テレビにもほとんど出ない。それでも、いや、それだからこそ若者たちは熱烈に支持した。真に「俺たちのマドンナ」と呼べる森下愛子を──。
いまだ忘れられない美白乳房
高校の図書室の片隅で、少年と少女は“初めての瞬間”を迎えようとしていた。少年の愛称は「サード」(永島敏行)で、少女は「新聞部」である。その少女とは、デビュー間もない森下愛子(53)であった。
〈ふーん、こんな風になってるんだ‥‥〉
下半身をむき出しにしたまま、閉ざされた空間での2人の息づかいは、邦画史に残るエロティシズムとして大きな評価を得る。
78年に公開された「サード」(ATG)は、単館規模の上映ながら「キネマ旬報・日本映画ベスト・ワン」や「ブルーリボン賞・作品賞」に輝く。当時、20歳になったばかりの森下は、これが2作目の映画出演だが、体当たりの演技は多方面の注目を集める。
同作の監督である東陽一は、四半世紀も前の一篇を鮮明に記憶する。
「ATGに僕が何本か企画を出して、脚本に有名どころの寺山修司を呼んで、ようやく採用されたのがこれ。それから主役級の男女4人をオーディションで選ぶんだけど、彼女は一発で決まったね。芯は強いけど表情には初々しさがあって、とてもよかった」
地方の高校に通う4人の男女は、いつしか金を貯めて小さな町を出たいと考える。そのための資金はどうすればいいか──それは2人の女生徒に売春をさせることだった。それぞれのカップルが初体験を終えたばかりだというのに、青春は残酷なまでに“幼い暴走”を止められない。
この「女子高生が売春」という設定に対し、当時の森下の女性マネジャーは難色を示 したと東は言う。
「念を押されたよ、ウチの子。でも森下本人はシナリオを読んで平気だったから」
東は「サード」に限らず、役者に対して「芝居」をつけることを好まない。その役柄に役者を選んだ時点が「演出」であり、あとはわずかなアドバイスにとどめる。森下に対しては、家で友達と話すような感覚で臨んでくれと伝えた。
結果、映画の狙いであるリアリティがあふれた。また、森下のあどけなさと妖艶さが絶妙に同居する「新聞部」という役柄を作り上げた。
「公開から20年以上が経っても、必ず言われるのは『森下愛子のおっぱい』なんだよね」 東が苦笑するほど、その美白の乳房は目に焼きついた。公開当時に高校2年だった筆者は、地方に住んでいたため、残念ながらATG作品がかかるような映画館はない。それでも「GORO」や「週刊プレイボーイ」のグラビアで場面の描写を見るたび、ロマンポルノとは違う“清冽なエロス”を感じ、共鳴する仲間と森下愛子を論じた。
ハイライトとなるのは、永島がキャッチしたヤクザ(峰岸徹)のアパートに森下が連れ込まれる場面。2万円と引き換えの行為だったが、約束の時間を過ぎても終わろうとしない。永島が部屋に突入すると、そこには目の焦点が定まらない裸の森下が横たわる。
そして、横向きになった乳房から垂れるひとしずくの汗──。この描写こそが、森下の美乳を何倍にも際立たせる効果となった。
「乳房から汗が流れるのは、彼女がヤクザに麻薬をやらされたというイメージ。意識がもうろうとしている状態をうまく演じてくれた」
そしてヤクザは、永島扮するサードによって撲殺される。アパートから全裸のまま逃げる森下の後ろ姿は、非常事態にあっても、危険なフェロモンを放った。
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