「新人類」という言葉は、バブル真っただ中の80年代に生まれたもの。しかし、それより10年以上も前に、大人たちの常識を超える少女がスクリーンに登場した。その名は──秋吉久美子。当時、流行した「コケティッシュ」という形容詞は、ただただ彼女のためだけに存在した。
泣きじゃくる秋吉を説得した
「ええっ! こんな子が俺とラブシーンやるの?」
俳優・高岡健二(現在は建治)は、初めて顔を合わせた秋吉久美子(57)の若々しさに驚いた。秋吉は福島県いわき市の高校を卒業し、撮影時には19歳になっていたが、高岡の目には15歳くらいにしか見えない。それほど「純朴であどけない顔」だった。
「俺も慣れないラブシーンがあるし、本当はガチガチに緊張していた。しかも久美子と初めて顔を合わせてすぐ、お互いが上半身ハダカになってのポスター撮りだったから‥‥」
その作品とは、かぐや姫のヒット曲をモチーフにした「赤ちょうちん」(74年/日活)である。71年からロマンポルノ路線に転じていた日活だが、同作の藤田敏八監督を中心に、年に何本かは一般向け青春映画を製作している。
高岡が言うように、ポスターでは夕やけを模した赤い光に包まれ、2人が裸のままたたずんでいる。この撮影が秋吉久美子にとっての“初脱ぎ”だったが、高岡の記憶では実に堂々としていたという。また、あどけない顔だが、形のよい乳房には目を見張った。
そしてポスター撮りが終わると、低予算映画のあわただしい日々が始まる。
「映画は貧しい2人の同棲を描いたものだけど、俺も久美子も新人だから同じような生活だったね。演じる役とダブって、お互い共感できていた。きついスケジュールだったけど、必死になって撮っていったよ」
かぐや姫の「赤ちょうちん」では〈キャベツばかりをかじってた〉という印象的なフレーズがあるが、映画にも何度となくキャベツが映し出される。70年代の若者は、大半が貧しかったことを象徴している。
日々の厳しいスケジュールが終わると、高岡は監督の藤田敏八、助監督の長谷川和彦らと毎晩のように新宿ゴールデン街へ出かけた。安い酒を酌み交わしながら演技論を戦わせ、そこには秋吉も必ず同席した。泥酔こそしないが、静かに杯を重ね、映画の現場を味わっていたという。
「でも1度、撮影所から泣きながら逃げ出したことがあったんだよ。探しに行くと、近くの田んぼにうずくまっているんだ」
高岡たちが声をかけると、秋吉はこう叫んだ。
「本当は裸になんかなりたくないの!」
ポスター撮りでは堂々としていたが、やはり、19歳の胸中は激しく揺れ動いていた。高岡は、泣きじゃくる秋吉を説得する。
「久美子‥‥さあ、みんなが待ってるから戻るぞ。それに『脱ぎたくない』って言ったって、ポスターではちゃんとできたじゃないか」
ようやく秋吉も折れ、以降は支障なく撮影が進んだという。
さて物語は、何度も引っ越しを重ねるうち、秋吉演じる幸枝は精神に異常をきたしてしまう。鳥アレルギーであることから端を発し、2人の間に子供をもうけながら、奇行を繰り返す‥‥。虚無的な表情ながら、何をしでかすかわからったのが初めてだったけど、気品と色気を兼ね備えているという印象。当時の若手女優としては、小悪魔的な魅力はピカイチだったね」
三木は、そんな秋吉を生かすにはどうしたらいいかと、これまでの出演作をつぶさに観た。秋吉が注目された三部作を演出した藤田敏八は、三木と「俳優座」時代の同期であり、一時は同じ下宿に住んでいた。
三木は、さすがに藤田は女優の生かし方をわかっていると感心した。秋吉は「歩き方」と「泣き方」の2つに魅力があったのだ。
「すごく可愛らしく見えるように『酔っぱらって歩いている』って場面を入れてみたりしたね」
三木によれば、女優としての演技力が突出しているない──それは秋吉自身のイメージとしても定着することになった。