夕日をバックに土手を疾走するシルエット、怒号飛び交う取調室、埠頭でのド迫力カーアクション‥‥。昭和生まれの男たちが夢中で見た刑事ドラマが再び元気だ。往年の名作の裏側から現在放映中の意欲作も交えてのランキングまで、刑事ドラマがもっと好きになる大特集!
刑事ドラマは数あれど、真に国民的な人気を博したのが「太陽にほえろ!」(1972~86年、日本テレビ系)だ。その絶頂期に「七曲署」の一員だったボンこと宮内淳(61)と、ロッキーこと木之元亮(60)が再会を果たした。
――初代のマカロニ(萩原健一)から続く新人刑事は4代目がボン、5代目がロッキーとなります。
宮内 ロッキーは初めて七曲署に来た日は覚えてる?
木之元 いや、もう番組の大ファンでしたから、そこに自分が入っていくなんて足が震えましたよ。ボス(石原裕次郎)に「緊張するなよ」って言われて、さらにドキドキして。
宮内 俺は逆に「うわーっ、裕次郎さ~ん」って軽いノリで言ったもんだからプロデューサーに大目玉。名前じゃなく「石原さん」と呼べって。
――番組の15年の歴史でも、この「ボン&ロッキー時代」(75~79年)が絶頂期と呼ばれています。平均視聴率が30%前後、ハイライトの殉職シーンともなれば40%近い数字。日本テレビでありながら、金曜日だけは巨人戦のナイター生中継もなかった。
木之元 ところが、一度だけナイターが入ったんですよ。77年9月2日、王貞治選手の世界新記録(756号)がかかった試合です。冒頭に長嶋茂雄監督が「ワンちゃんの記録がかかっていますので、今日だけは中継をお許しください」って挨拶してましたから。
宮内 それでホームラン打ったの?
木之元 いや、その日は出なかったですけど(翌3日に達成)。
宮内 視聴率が20%台に下がると「何でだ!」ってスタッフが焦ったよな。
――それぞれの第一印象は覚えていますか?
宮内 ロッキーが赴任する前に、長さん(下川辰平)から写真を見せられたんだよ。新宿の高層ビル街をバックに、ヒゲだらけの男がポーズ取っている。長さんが「こいつ、すげえな」って驚いてた。
木之元 僕に限らず新人刑事は1回、テストの形で出演するんですよ。僕はボンさんが主演の回に、警察犬の調教師役で出て。番組のファンだから「ボ、ボ、ボン刑事だ!」ってアワアワしちゃって。
宮内 身長は180センチ以上が基準だったから、誰がテスト受けているか、だいたいわかるんだよな。それでゴリさん(竜雷太)やヤマさん(露口茂)と、あれがいい、これがいいって言い合ったりするんだ。
木之元 僕が出ている時に松平健さんも来てました。――実現していればサンバ刑事だったんでしょうか。
宮内 当時、松平さんと飲んだけど、岡田晋吉プロデューサーが求める青春の荒々しさは、彼にはなかった。やっぱりロッキーのほうが目立っていたよ。
――新人刑事の成長物語を表すのは、テーマ曲に乗ったタイトルバックの疾走シーンでしょうか。
宮内 最初は体力ないんだよ。だからボンの役が決まってから柔道や空手の道場に入門させられ、撮影所まで20分ほどを毎日ランニングさせられた。
木之元 お金ないからヒョロヒョロでしたよね。
宮内 まずはタイトルバックの撮影だけど、ワゴンの後ろにカメラを積んで、その車を追うように「さあ、本番」で走るわけ。何度も何度も走って、もう走れないと思ったら「悪いね、今のはテスト。これから本番」って‥‥。ショーケンの時代から、何度も吐きながら撮ってたって聞いたな。
木之元 もう必死の形相でしたよね。あれはスタッフに「この野郎!」って思っている顔だったり(笑)でも、新人に負けないくらい速かったのが長さん。
宮内 長さんはラグビーやっていたから、走り方が本格的。ダメだったのは殿下(小野寺昭)かな。
――そして新人は「殉職」という最期を迎えます。
宮内 殉職の設定とかセリフは、基本的に役者に任せてくれる。俺の場合は、美人のためじゃなく、そうじゃない女をかばって死ぬというのをやりたかった。そのイメージに合ったのが、つかこうへいさんの「ストリッパー物語」に出ていた根岸季江。向こうもOKしてくれて、彼女をかばって撃たれるシーンになった。
木之元 公衆電話で息絶えて10円玉がチャリンと落ちる。あれは涙が出ましたね。
宮内あのドラマを4年やって、ボスと芝居の話をしたのは、ここをどうするかだけだったね。
木之元 僕は「ロッキー山脈で死にたい」って言ったら、本当にロケが決まって。ただ、画面を観たら、何だかリスをかばって死んだような感じでしたけど(笑)。
宮内 ロッキーは入ってすぐオーストラリアロケもあったし、何かと運がよかったよな。
木之元 フィルム撮影の緊張感もあったし、あのドラマには芝居を超えたものがありましたよね。
宮内 普通は「主役とその他大勢」だけど、「太陽――」はヤマさんやゴリさんやそれぞれのファンがいて、それぞれをメインにした回があった。それが人気を長続きさせた要因だろうね。