当時を知る在京専門紙の元記者が耳打ちする。
「トップジョッキーのユタカからホンネの情報を引き出すのは大変でしたから、かなりの社が奥さんにバレない形でご祝儀を渡していました。ある社などは最終レースが終わったあと、人のあまりいない競馬場内の一室にユタカを呼び出し、数百万円入った包みをそっと手渡していましたよ」
武と蛯名の友情譚に話を戻せば、ここ数年、武が社台グループに干されるなどして勝ち星が上がらず、スランプがスランプを呼ぶ悪循環に陥っていた時も、蛯名はひそかに武に救いの手を差し伸べている。競馬サークル関係者は、
「天才といえども、やはりキツかったんでしょうね。当時、ユタカは京都の先斗町や祇園にある行きつけの店で、酒浸りの日々を過ごしていたんです。この噂を耳にした蛯名は競馬関係者を通じて『酒やめないと、このままじゃダメだよ』とたしなめて、本気で心配していました」
と明かしたうえで、この苦言は「この際、生活を改めてみてはどうか。そして昔の強いユタカを取り戻してほしい」という、蛯名なりのエールだったというのだ。
厩舎関係者もこう話す。
「ちょうど同じ頃、『やっぱりユタカが活躍しないと競馬は盛り上がらない。何だかんだいってもユタカなんだよ』と話していましたよ」
もちろん、2人の友情は蛯名からの一方通行、というわけではない。
「今は基本的にエージェントが騎乗馬を探してくるわけですが、馬主を紹介することはあるようです。例えば、ユタカが懇意にしている個人馬主の馬が、ずっと京都で使っていたのを東京で使うということがあった。でも、たまたまユタカが他の馬に乗ることになっていて、『いい騎手はいないか』と相談され、『それなら蛯名に乗せてやってください』と推薦することもあるらしいです。逆に、蛯名からユタカに乗り替わりの紹介もあるでしょう」(専門紙トラックマン)
01年3月、蛯名がトロットスターでスプリントGIの高松宮記念を制した時のことだ。この日のトロットスターはなぜか行きっぷりが悪く、鞍上も「本当にヤバイ!」と焦るほどハラハラの展開となったが、最後は大外を信じられないほどの鬼脚で伸びて優勝。すると、車で帰宅途中の蛯名に、パリで武者修行中の武から「おめでとう」の電話が入ったというのだ。蛯名は著書「正義の競馬」(集英社)の中で、この時の心情を次のようにつづっている。
〈レース直後に感じたのと違った喜びがじわじわと心に広がるのを感じた。勝ってよかったなぁとつくづく思った。やはり、持つべきものは、心の通った友ということだろうか〉
そんな蛯名の人知れぬ支えもあって、武はスランプの長いトンネルをようやく抜け出し、今年11月、年間の勝ち星を6年ぶりに100勝の大台に乗せた。
天才の陰に蛯名あり。物議を醸したチャンピオンズCでの物言いも含めて、まさに蛯名が望んでいた「強い武」の復活である。