清原容疑者は現役時代から薬物に手を出していた、との証言が後を絶たない。思えば「番長」と呼ばれ、素行不良の烙印を押されていた巨人時代が悔やまれる。ところが、スーパースターに巣食っていた闇は、なんとプロ野球人生をスタートさせた西武時代から育まれていたというのである。
清原容疑者のプロ入りからFA移籍までの11年間、西武でコーチとして指導した、プロ野球解説者の伊原春樹氏が嘆く。
「14年に西武の監督を務めていた時、評論家としてキャンプを訪れてくれた。うれしそうに子供の話なんかをしてたなあ。私の前でおかしなマネなんてしないから、30分以上話したけど、変な兆候には気づかなかった。非常に残念だよね」
清原が入団した当時の西武は、9年間で8度のリーグ優勝を成し遂げた森祇晶監督が指揮を執り、「管理野球」で、黄金時代を担う選手たちの手綱を締めていた。
伊原氏もこう証言する。
「私生活を引き締めるという指導は、球団主導でやっていました。もちろん、私ら指導者もきちんと選手を管理し、間違いを起こせばひと説教したものです。森さんが退任したあとでも、私がいましたからね」
ところが、西武時代の清原容疑者はすでに、暗転する未来を予見させるような激しい奇行を見せていたというのだ。くしくも、厳格な森監督から、柔軟性のある東尾修監督へとバトンが渡された95年以降のことだった。舞台となったのは、日本を離れ、ハワイ・マウイ島である。
「親会社が経営していたマウイプリンスホテルの宣伝も兼ねて西武は92年からマウイで一次キャンプを行っていました。ところが、96年のキャンプで清原が大騒動を起こして、翌年から撤退。高知・春野キャンプに一本化されたんですよ」(球界関係者)
いったい何をやらかしたというのか──。
マウイでの一次キャンプ最終日に“事件”は起こったという。
「“打ち上げ”と称して、清原がホテルの部屋で乱痴気騒ぎを繰り広げたんです。部屋には清原と仲のいい同僚選手たちも数人いた。そのうちの2人とは逮捕される直前まで親交があったほどですから気心が知れています。仲間たちに囲まれ、現地で調達したのか、美女たちも部屋に連れ込んでいた。でも、単なる酒宴ならまだしも、清原の行動は常軌を逸していて、酒で酔ったという、なまやさしいレベルではなかったんです」(前出・球界関係者)