80年代のアイドル界において「おニャン子クラブ」は大きな花火を打ち上げた。歴代のメンバーでも美少女度で一、二を争ったのが渡辺美奈代(46)だった。
──会員番号29番でデビューした時、石橋貴明が「お前と渡辺満里奈との『Wワタナベ』で秋元康さんの税金の分を稼ぐんだぞ」と言った話は有名。それほど飛び抜けた存在でした。
渡辺 Wワタナベって、誰が言いだしたんでしょうね(笑)。私は16歳で愛知の田舎町から上京し、事務所とレコード会社が決まって、おニャン子に選ばれて、すぐにハワイロケがあって、という目まぐるしい半年。ラジオのレギュラーもありましたし、ソロデビューの準備もあって。
──時間がいくらあっても足りないですねえ。さて、「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)に加入した時は、すでに番組の人気が定着していました。
渡辺 年齢が20歳の方もいて、私は16歳で、あの当時の4つの差は大きいなあと思いました。
──おニャン子といえば親衛隊の過熱ぶりも有名です。地方から上京した身には、危険を感じたことも?
渡辺 それはもう24時間、365日、マンションの前に誰かがいました。当時はオートロックではないので、ドアを開けたらファンの方がいきなり立っていたり、インターホンも鳴りっぱなし。私のマンションは白い壁だったんですけど、そこにスプレーで「美奈代」と、くまなく埋め尽くされて‥‥。
──80年代らしい「無法地帯」ですね。
渡辺 フジのディレクターさんの紹介でしたが、さすがに管理人さんが精神的に苦痛を感じて「出て行ってほしい」と言われました。
──ディープな話が続きましたけど、記録的だったのは86年7月に発売したソロデビュー曲「瞳に約束」の発表会。日本武道館に1万2000人を集めて話題になりました。
渡辺 その後、ファンクラブの結成式を「よみうりランドイースト」でやったんですけど、これも人の波がとぎれない感じでびっくりしました。
──新曲が出るたび「夕やけニャンニャン」で披露していましたが、ファンの間でも謎とされるのが、3作目の「TOO ADULT」を歌っている時に涙を流した姿。今振り返ると、あの涙にはどんな理由が?
渡辺 寝る時間もないほど忙しすぎたから、自分で自分をコントロールできなかったんです。例えばお休みを1日いただいたとしても、マネージャーの人が一緒じゃないとコンビニにも行けない状態でした。
──そして、87年9月におニャン子も解散。
渡辺 私は1年ちょっとしかいなかったけど、実に濃い日々でしたね。
──最近の「AKB48」を見ると、当時を思い出しますか?
渡辺 いや、AKBと私たちはまるで別物。彼女たちはダンスもしっかり練習しているけど、私たちは振り付けレベル。レッスンもなかったし、むしろ「何もするな」と言われていましたから(笑)。
──90年代には大胆な写真集でも楽しませていただきました。バストトップやヘアこそ隠しているものの、それ以外は完全なヌードという手法で。
渡辺 スタイリングやカメラアングルにも自分の意見を出させてもらいました。だから、ロケ先で編集の方と「脱ぐ、脱がない」でケンカになったこともありましたね。
──現在は「かぐや姫ミナヨ」というインテリア販売も手がけていますが、30年来変わらぬ若々しさは、ぜひ再び写真集にて!