聖子の「80年組」や明菜の「82年組」に比べ、不作とされたのが83年のデビュー組。それゆえに絆は今も強いと同年デビューの桑田靖子(48)は言う。
「3月10日に下北沢でライブをやったんです。そのリハに松本明子ちゃんが差し入れをたくさん抱えて来てくれました。本番は仕事で抜けるけど、リハではハモって2人で楽しみました」
東京ディズニーランドが開園し、朝ドラ「おしん」が社会現象になった83年、靖子は「脱・プラトニック」でデビューした。ショートカットが印象的で、その歌唱力は評価が高かった。
同じく歌唱力の高い松本も同期であるが、ここ数年は集合する機会が多いと言う。
「大沢逸美ちゃんがテレビで『同期に会いたい』と言ったのがきっかけなんですよ。それで私に明子、森尾由美、小林千絵、徳丸純子、木元ゆうこの7人がよく集まるようになりましたね。誰かがテレビに出るとか舞台をやる日には、朝からメールやラインが飛び交っていますよ(笑)」
いくつかのコンテストでグランプリに輝き、数多くのアイドルを輩出した「サンミュージック」に所属。全盛期の松田聖子を間近に見て、衝撃を受けた。
「ステージの聖子さん、楽屋の聖子さんと拝見しましたが、ご自身でああしたい、こうしたいと伝えることのできるすごい人でした」
同社の新人は、伝統として相澤秀禎社長(当時)の自宅に居候する。靖子も一つ屋根の下で多くを学び、2年後にデビューする岡田有希子とも1年ほど共に暮らした。
「ユッコとは堀越学園でも同じクラスで、本田美奈子ちゃんや高部知子ちゃんも一緒でした。堀越の修学旅行って、ハワイや韓国、そして北海道から選択できるんですけど、私たち芸能コースは『途中参加・途中帰京』もあるので、基本的に国内を選びます」
そして、北海道の旅館で“事件”が起こった。男子生徒がずらりと並んで正座をさせられている。
「どうやら、お風呂をのぞいたのがバレちゃったみたい。確かに、ユッコや長山洋子ちゃんや倉沢淳美ちゃんもいたから、のぞきたくなる気持ちもわからなくはない(笑)」
岡田有希子がサンミュージックのビルから飛び降り自殺したのは、卒業直後の86年4月8日のこと。
「大人には言えないことを言い合って発散できるのが芸能コースの仲間でした。卒業して、その場を失ったことも少し影響したのかなと思います‥‥」
さて、靖子が知名度を上げていくのは、86年に始まった「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)のレギュラーに抜擢されてからだ。
「どこに行っても『靖子ちゃん、靖子ちゃん』と呼ばれるようになりましたね。ただ、番組が始まるまでは、どんな内容になるのかは誰も知らなかったんです。私と野口五郎さんは『カックラキン大放送』みたいな番組と聞かされていましたし」
その後、一時は音楽活動から離れていたが、10年から同じ名義で再開。5月25日には新アルバム「幸せのトビラ」を発売し、6月には名古屋、大阪、福岡、佐賀、東京でツアーも行う。
「デビューから30年以上たって歌えるのも、不作と言われた同期たちと集まれるのも、続けていればこそだと実感しますね」