CM、ドラマ、レコードと、デビュー直後に次々と大きなチャンスを射止めた立花理佐(44)。大阪からほんの1週間だけ滞在するつもりが、気がつけば30年近い歳月が流れている。
──まず最初に獲得したのが「第1回 ロッテCMアイドルはキミだ! コンテスト」のグランプリ。
立花 はい、中学3年の受験生でした。それでいったん上京して、1週間くらいで帰って準備しようと思ったんです。ところが、CMやドラマが次々と決まり、卒業式にも出られないまま東京に残り、今に至っています(笑)。
──大阪と東京の違いを感じた?
立花 今のアイドルが自由だなと思うのは、方言も持ち味じゃないですか。私は関西弁を使うことを固く禁じられていましたから。衣装だって自分の意見はまったく聞いてもらえません。
──なるほど、80年代らしい制限だ。そして主演デビューとなったドラマが「毎度おさわがせします3」(TBS系)の内海はるか役。
立花 最初は後藤久美子さんが予定されていて、実際、収録前の合宿に参加しているのも見かけました。ところが、何らかの事情で降板されて私になったんです。
──中山美穂の出世作としてドラマの人気はすでに高かった。
立花 でも‥‥正直なところ、あのドラマは下着姿になることも多いし、人の裸を目の前で見てしまうし、すごくイヤだったんです。でもイヤとは断れず、全力で頑張ろうと思いました。
──ドラマの主題歌の「疑惑」がデビュー曲で、初登場でいきなり2位の大ヒット。
立花 その前にロッテのCM用に用意されていた“幻のデビュー曲”があったんです。曲に合わせたCMも撮影していましたが、ドラマのほうが優先された形でした。
──87年のレコ大新人賞レースを酒井法子、坂本冬美、畠田理恵、BaBeと争い、みごと最優秀新人賞を獲得。それにしても、将棋の羽生善治夫人がいたり、演歌の女王がいたり、のりピーがいたりと、にぎやかなメンバー。
立花 のりピーはいつもマイペースで、冬美さんのことを「師匠」と呼んでいました。BaBeの2人とは、楽屋でいつも「ジェンガ」などのゲームをやっていて、負けたほうは腕に「しっぺ」をされるんです。これからテレビの本番なのに、腕が真っ赤になったこともありました(笑)。
──新人賞を受賞した「キミはどんとくらい」は、バックダンサーに無名時代の石塚英彦がいました。
立花 石塚さんはいつもニコニコしていましたね。今でもたまに連絡を取り合っていますよ。
──6作続けてベストテンにランクインしていたのに、デビュー2年目に事務所とレコード会社にトラブルが発生し、8カ月も休業する異常事態に。
立花 レコード会社の人は焦っていましたねえ。私はやることがないから、資格を持っている水泳のコーチのアルバイトをやっていました。お子さんのお母さんたちは、まさか私とは思わず、立花理佐の妹と言い張る人もいました(笑)。
──その後、結婚して主婦業と並行しながら芸能活動も再開。
立花 今はハワイアンのバンドを組んでいるんです。フラダンスを合わせたバンドで歌っていますので、ぜひ、見に来てくださ~い!