スイス留学で落第点を取った
正恩氏は01年まで約4年間、スイスに留学。首都ベルンの公立中学校に通っていた。当時の写真や人物像が、地元の新聞や同級生たちの手で明らかにされている。それによれば、正恩氏は「天才の中の天才」などとは程遠い、ごく普通の子供だったという。
正恩氏はベルン郊外の「リーベフェルト・シュタインホルツリ公立学校」に「パク・ウン」の偽名で98年8月に入学した。スイスの新聞が今年4月にスッパ抜いた、スイス時代の正恩氏の成績表によれば、落第点だった科目もあり、学校も休みがちだった。
中学1、2年時の成績は数学、ドイツ語、芸術、社会科が「4」だった。同校の試験の評価は6段階で、4以上なら合格。つまり、合格点スレスレだったわけだ。自然科学は「3.5」で不合格だった。
英語は当初、上級クラスだったのが、すぐに中級クラスに降格された。しかも成績は「4」で、ドイツ語も苦手だった。しかし、運動と音楽は「5」と好成績だった。スイス時代の友人たちは正恩氏について、
「バスケットボール好きでマイケル・ジョーダンや、コービー・ブライアントのファンだった。女の子の前では内気だった」
と証言している。特にバスケットボールには愛着があったらしく、
「アメリカでプロバスケットボール選手になることを夢みていた。お気に入りのチームはシカゴ・ブルズ」(友人の1人)
というから、北朝鮮が敵対するアメリカに憧れていたということになる。
スイス滞在中は北朝鮮の在スイス大使が父親代わりとなり、身辺の管理を行っていたほか、
「平壌から送られた、育ちのいい子供たちと遊ぶように強いられていた」(前出・朝鮮総連関係者)
スポーツ好きだが、勉強は得意ではなく、少しシャイな子供というのが実情に近そうだ。
母国への帰国後も「低空飛行」だったらしい。脱北者の証言などをもとにした韓国の報道によれば、正恩氏は北朝鮮の最高学府、金日成総合大学や、エリート軍人を育てる金正日政治軍事大学に通ったものの、バスケットボールなどのスポーツやテレビゲームにふける毎日だった。しかし、他の2人の兄弟に比べて性格的に強い部分があり、早くから後継者となることが決まっていたという。