北朝鮮では、独裁者をこれでもかとたたえるさまざまな「武勇伝」や「伝説」が大げさに喧伝され、神格化に一役買っている。はたしてどこまで信用できるか怪しいかぎりだが、本誌は若き指導者のルーツと人間性を検証。学校の成績から女性関係まで、「人間・金正恩」をあぶり出すエピソードを公開する。
3歳で銃が撃てるように!?
北朝鮮の最高指導者になった金正恩第一書記は、2010年9月に故・金正日総書記の後継者として突然、公の場に姿を現した。それまで噂だけが先行していただけに、祖父の故・金日成主席そっくりの容貌に関心が集中した。
実は日本とも深い関係にある。母親(故・高英姫〈コ・ヨンヒ〉氏)は大阪生まれで北朝鮮に渡った在日コリアン。北朝鮮では、踊り子としてトップスターの地位にあった。母方の祖父は、韓国・済州島出身で、大阪の軍需工場で働いたあと北朝鮮に渡ったことが最近、判明している。
正恩氏は1月8日生まれの28歳だ。しかし、生まれた年は2説あり、29歳だと言う専門家もいる。
一部では正恩氏は、顔が祖父にそっくりなため、「金日成主席が晩年に側近女性に産ませた男の子」とのスキャンダラスな見方さえある。これはさすがに否定する人が多い。
朝鮮総連関係者によると、北朝鮮内では、
「泣き叫ぶ5歳の正恩氏に乳母がトンボを手渡すと、正恩氏は羽を引き裂き、機嫌を直した、という荒々しい気性を物語るエピソードが伝わっています」
北朝鮮で13年間、金総書記の専属料理人を務めた藤本健二氏は当時、正恩氏と一緒に生活していた。その証言は具体的で、今でも一級の内容だ。
91年、正恩氏は他人名義のブラジル旅券を使って日本に極秘入国、11日間滞在し、東京ディズニーランドを訪れていた。秋葉原の電気街にも足を延ばしたようだ。その時の印象が強かったらしく、帰国後、藤本氏に対して、
「日本は世界一の電気製品がズラリと並んでいてすごい。自国に帰れば何もない。技術も産業も劣る」
と話していたという。
北朝鮮にある別荘には、ゲームセンターのようにズラリとゲーム機が並び、正恩氏は「スーパーマリオ」や「テトリス」といったゲームにハマッていたという。幼い頃からリーダーシップがあり、バスケットボールの試合で負けるとチームを居残りさせ、負けた原因を長い時間かけて分析。「パスのやり方を変えよう」などとアドバイスしたという。
北朝鮮のメディアでは、正恩氏が後継者に決まった直後から、「先端技術に明るい」「砲術の天才」「戦車操縦の達人」などと宣伝を繰り返した。最近ではいっそうの神格化が始まっており、北朝鮮の国営メディアは、
「3歳で銃が撃てるようになり、9歳で動く標的にまでみごと命中させた」
「16歳で軍事戦略に関する論文を書き上げたり、1日3.4時間程度の睡眠時間で勉学に励み、食事を抜くこともあった」
「天才の中の天才」
などとほめちぎっている。