女性歌手をしつこく口説き…
正恩氏の父・金総書記は、正恩氏の母・高英姫氏を踊り子時代に見初めたことはよく知られている。韓国に亡命した金総書記の親族らの証言によると、美貌の英姫氏は、「喜び組」の一員として秘密パーティでの接待役に選ばれて金総書記のパートナーとなり、76年からは平壌の別荘で同居、正恩氏と兄の正哲氏の2人の子供を産んだ。そして04年、乳腺ガンのため死去する。
金総書記の正式夫人として待遇を受けた最初の女性は、女優の故・成ソン・ヘリム恵琳氏だった。彼女は端正な顔だちの美人。北朝鮮の男たちは「成恵琳と結婚できれば、他には何もいらない」と憧れた。金総書記との結婚生活に入った時、すでに33歳で5歳年上。しかも娘までいた。もともと北朝鮮の作家と結婚しており、金総書記が強引に離婚させたと報道されている。ほとんど略奪婚だったのだ。
彼女は71年に長男の正男氏(41)を産むが、その結婚生活も正男氏の存在も、長い間秘密にされていた。
そこに高英姫氏が現れ、金総書記の愛情を奪い取る。成恵琳氏は苦しんだ末、96年に西側に亡命、モスクワなどで病気療養をし、05年に他界している。
金総書記は成恵琳氏、高英姫氏を含め、4人の妻がいたとされる艶福家だ。人口2400万人の国のトップに君臨していただけに、女性についても自由にできる立場にいたに違いない。
それに比べると、正恩氏には浮いた話はあまり多くない。正恩氏の女性問題については、前出の藤本氏は韓国の雑誌「月刊朝鮮」に、「正恩王子がガールフレンドとつきあっているところを見たことがなかった」
と話している。
だが、韓国や中国のネット上では、正恩氏と内縁関係だったという女性の写真が具体的な名前とともに出回ったことがあるのだ。
北朝鮮の「3・8国際婦女節(世界婦人デー)」の記念公演に登場して「駿馬娘」という歌を歌った女性歌手が、その女性だったという。写真を見るとふっくらした容貌で、いわゆる肉感的な体つきをしている。
韓国の北朝鮮専門メディア、デイリーNKは脱北女性の話として、この「内縁の妻」の名前を「平壌音大出身で普天堡電子楽団代表の歌手・玄ヒョン・ソンウォル松月」とした。正恩氏がスイスでの留学を終えて帰国後、恋愛関係になったという。報道によれば、「彼女は06年に突然、活動を中断していなくなった」とし、「将軍様(金総書記)が正恩氏から彼女を引き離すために、活動の中断指示を下したようだ」。先の脱北女性によれば、
「玄松月は他の男性と交際していたが、正恩氏がしつこく求めてきたので、しかたなくつきあった」
しかし、大学の卒業を間近に控えて、父から「玄松月との関係を清算しろ」と指示され、やむなく別れたのだという。