ターゲットは巨人・高橋由伸監督(41)だ。今季、セには3人の新人監督が誕生したが、ペナントでは知られざる「積年の遺恨」が爆発している!
横浜スタジアムのベンチ裏にすさまじい怒声が響き渡った。3月31日、DeNA対巨人戦の終了直後だ。荒々しい声の主は、DeNAのラミレス監督(41)だった。この日は息詰まる激闘の末に延長戦で敗れ、古巣・巨人相手との開幕初カードで負け越しが決まったのだ。
ラミレス監督がここまで感情をあらわにした理由はハッキリしている。巨人を率いる由伸監督に異常なまでのライバル心をむき出しにしているからだ。
実際、前夜の試合は重盗を試みるなど奇策が成功、開幕から4連勝中だった巨人に今季初黒星をつけた。敗れた由伸監督が珍しく怒りをあらわにしながら「勝つとうれしい半面、負ければ悔しい」と口にした様子を報道陣から知らされると思わず親指を突き立てるサムアップポーズを見せたほど。ラミレス監督の心の奥底に「打倒ヨシノブ」の闘争心がメラメラと燃え上がっているのは間違いない。
ラミレス監督は現役時代、1歳下の由伸監督と4年間にわたってチームメイトだった。ヤクルトから巨人に移籍した直後の08年のシーズン当初こそ5番だったが、4番候補だった由伸が打撃不振に陥ったこともあり、途中からは4番に定着。そのまま打点王となり、翌年は全試合で4番に座って首位打者と最多安打のタイトルも獲得した。一軍に定着して間もない坂本や、そのあと10年に入団してきた長野ら当時の若手主力たちに打撃指導も行うなどして瞬く間に中心的存在となり、まさにあともう一息で「Gのキング」にまで上り詰めようとしていたのだ。
しかし、当時の状況をよく知る古参の巨人球団関係者は次のように回想する。
「この絶頂期の頃からラミ(ラミレス)は『オレはヨシノブがいるかぎり、ジャイアンツでは絶対にキングにはなれない』と口癖のように繰り返して悩んでいた。決して由伸は“オレについてこい”というタイプではないが、猛練習を重ねたり、あるいは打撃だけでなく守備や走塁の面でもケガを恐れず常に全力プレーを見せたりすることで若手選手たちを魅了していたからね。背中で人を引きつけていたからこそ、チーム内には由伸シンパがゴマンといた。一方のラミには、もともと自分は移籍組で外国人選手という劣等感のようなものがあったから、門下生のはずの勇人や長野たちとも、何かしらの壁があったのは事実だよね。11年の宮崎キャンプでは由伸と長野、勇人の3人が、ある晩にそろって夕食へ出かけたことを知って『あれだけ2人には丁寧に教えてやったのにオレは仲間になれないのか』とひどく落ち込んでいたこともあったぐらい。だからラミは若いチームメイトたちから全幅の信頼を受けていた由伸にずっと強いジェラシーを覚えていたんだ」
巨人在籍中は「ジャイアンツで監督をやりたい」と公言していた時期もあったが、10年頃から読売グループのドン・渡邉恒雄氏が「由伸は将来の監督候補だ」と語り始めたことを耳にし、だんだんと諦めモードになっていったという。並行して11年限りで巨人を退団しDeNAへと移籍するや、以降は叩き潰すべき完全なる怨敵として由伸を見るようになった。
「ラミは巨人にいた時から『いつか必ずヨシノブを見返してやりたい』と言っていたからね。それが敵同士の監督になって、その千載一遇のチャンスが巡ってきたというわけだ」(前出・球団関係者)