東京都のトップに立ちながら、静岡県湯河原町の別荘に50回近くも通っていた舛添要一都知事。実家が湯河原の資産家という妻をおもんばかってか、「湯河原より奥多摩のほうが遠い」と発言し、多摩地区の都民から総スカンを食らったばかりだ。そんな舛添氏の湯河原好きについて、文学に詳しいライターはこんなエピソードを口にする。
「東大法学部卒の舛添氏ですが、高校生の頃は文学青年で、夏目漱石や芥川龍之介を乱読していたそうです。とくに芥川への傾倒ぶりはすさまじく、息子に『龍之介』と名付けたことは新聞のコラムで明かしているほど。その芥川が湯河原に長逗留していたことは、現地の人なら誰でも知っている史実です」
明治期の湯河原には数多くの文豪たちが集まり、芥川が滞在していた中西屋旅館の跡地は、観光ツアーのコースにも組み込まれている。その中西屋は舛添氏の別荘からわずか1.5キロで、散歩コースと言える距離なのである。どうやら舛添都知事は湯河原に滞在することで芥川の気分に浸っていたのかもしれない。ここで前出のライターはこんな提言を口にする。
「舛添都知事にはぜひ、芥川が4年ほど多摩に住んでいたことも意識してほしいですね。今では新宿二丁目に当たる場所で、当時は豊多摩郡内藤新宿という地名でした。知事選では『多摩地区の発展なくして東京の発展なし』を公約にあげていましたし、芥川好きとしてはもっと多摩地区に目を向けるべきでしょう」
芥川がかつて住んでいた家は、新宿駅をはさんで東京都庁まで約2キロの場所にある。どうやら舛添都知事の芥川愛は本物のようだが、そこに多摩地区という視点は欠けていたようだ。
(金田麻有)