新記録を樹立したイチローが「厳しい第三者の目で見て」と揶揄すれば、NYタイムズも「セコイ」と報じた。世界に恥をさらして逃亡辞任した舛添前都知事をよそに、参院選直後の都知事選に政界は大混乱。新都知事候補たちは続々取りざたされるが、「ノーモア舛添」を合言葉にエグリ込み身体検査をした!
「リオ五輪で東京を笑いものにしたくない」
「子供のことを思えば、1カ月前も、今も辞めたいと思っている」
6月14日の都議会で、涙の延命懇願をした舛添要一前東京都知事(67)。都議会各派から「公私混同」疑惑を追及され、袋叩きにあいながらも最後まで悪あがきを続けた。政治部記者が理由を説明する。
「元検事の弁護士2人にみずからが依頼した『“第三者”による調査』で、議会を乗り切れると強気だった。議会直前には東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相(78)と緊急会談を行い、何としても9月の定例会までは都知事の座を持ちこたえる方針で合意していた」
舛添氏は「不適切だが、違法性はない」という、政治資金規正法の抜け穴を一点突破して逃げ切りを図ろうとした。しかし千葉・木更津のホテルで会議を行った相手が、「事務所関係者」から、「出版社社長」と一転するなどしたため、議会で「疑惑の総合商店」などと厳しく糾弾を受けることになった。説明責任を果たさない舛添氏に対し、14日の議会では自民党を除く各会派が不信任案を提出。同日自民党も不信任案に同調すると、翌朝15日に辞職届を提出することになった。同日の都議会では疑惑について一切説明せず、
「東京を世界一の都市とするために私なりに全力を尽くしてきた(中略)リオデジャネイロ大会を控える中での選挙は、次期開催都市としてふさわしくないと考えました。4年後の東京大会も同様です」
と、ここにきても五輪のひのき舞台に執着する、あきれた開き直りぶりだった。この強靭な粘り腰の原点は「朝まで生テレビ!」などでの、舌鋒鋭い国際政治学者として売り出した時期に遡る。ベテラン政治部記者が振り返る。
「『朝生』なども手伝って、物言う学者がモテた時代だった。東大助教授という肩書に加え、歯に衣着せぬもの言いをする舛添さんも人気者の一人。2度の離婚を経たバツ2独身で、『セックスは平均4時間』と豪語するなど、タレント文化人として引く手あまただった」
89年の対談記事で舛添氏は「自分の嫁さん以外の女の1人や2人抱くくらいのエネルギーがないやつに日本の政治は任せられない」などと熱弁を振るった。
「西部邁氏、栗本慎一郎氏と東大で行ったトークイベントでは、学生運動について政治的イデオロギーではなく女性をナンパするために参加したなど、堂々と自分のセックスについて語っていたのが印象的です」(前出・ベテラン政治部記者)
当時から、“性事”学者としても有能だったようだ。