あの日、生涯でワン・アンド・オンリーの濡れ場を決めたのはいかなる心境だったのか。撮影は、どう展開したのか──。週刊アサヒ芸能が女優たちに直接ぶつけ、返ってきた言葉を厳選してプレイバックする。
風吹ジュン(64)が79年に出演した「蘇える金狼」(角川映画)は、大変な評判となった。74年にアイドルでデビューし、移籍スキャンダルにも巻き込まれたが、本作では松田優作を相手にド迫力のベッドシーンを展開。
まだAVなどない時代だったが、バックから何度も挿入され、日本初の「駅弁ファック」まで披露するハードさだったのだ。
公開から10年後、風吹は週刊アサヒ芸能にあっけらかんと語っている。
〈あれは演技というより、そのままの自分を出したという感じですね。裸になって私がそこにいればいいということで、エイッと脱いじゃったんです〉
美人女優で知られる神保美喜(56)は、歌手デビューした76年に出演した「妖婆」(大映)で16歳のヌードを見せている。新人アイドルでありながらのヌードは考えられないことだった。
〈サンミュージックとしても、新人をそういう映画に出したのは初めてのことでしたね。私は今井正監督から指名を受け、しかも、京マチ子さんと共演できる。腰巻き1枚で木に吊るされるシーンも、ためらわずにやれました〉
今夏の参院選出馬が発表された石井苗子(62)は、年下の大学生を誘惑する「離婚ゲーム 僕のベッドはトライアングル」(92年)で妖艶なカラミを見せた。乳首もはっきりと映る濡れ場だったが、石井は堂々とした答えをくれた。
〈ヌードは全然、平気。周りがガサガサしている中で、パッとやるんだからノープロブレム〉
当選を決めれば、さらにお宝映像となりそうだ。
初主演で初ヌード、そして同年度の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝いたのは、小柳ルミ子(63)の「白蛇抄」(83年、東映)である。歌謡大賞も獲得したほどの歌謡界の大スターの妖艶な濡れ場は、波紋を呼んだ。
〈渡辺プロ・渡辺晋社長の死期を早めたと言われましたね。歌手でありながら、何であそこまでやる必要があるの? そんな声も聞こえました。でも正直、当時はどんな曲を出しても売れない。ここで小石を投げて、波紋を広げることも必要だなと思いました〉
映画の公開直後、みごとに「お久しぶりね」も大ヒットしている。
宝塚出身の宮本真希(38)は、デビュー作の「おもちゃ」(99年、東映)で主演ヌードを飾った。
〈深作欣二監督に『僕の映画で前バリを使った人は1人もいない』と言われました。私も何もつけない状態で臨みました〉
22歳のまばゆいヌードがスクリーンに輝いた。
80年代アイドルの大西結花(47)は、95年の「眠れる美女」(ユーロスペース)で初ヌードを見せた。オファーを1年断った末の了承であった。
〈中途半端にはやりたくないと思ったんですよ。迷いながらやって『カット、もう1回』と言われるのはイヤだから、そこにカメラがあることも忘れるくらい、1回勝負だと思って演じましたから〉
そう、1回勝負の緊迫感がすべての女優に共通していたのだ──。