引退する? ふざけるな!
83年、対西武との日本シリーズで、再び2人の敵愾心と自尊心が激しく交錯するドラマが生まれた。
ジャイアンツの3勝2敗で迎えた第6戦、9回表に中畑さんの三塁打で逆転したんです。僕は翌第7戦の先発を言い渡されていましたから、投げるつもりもなく、ベンチで応援していました。ところが、「逆転だ!」って盛り上がっていたら、中村コーチと目が合った。「ニシ、何やってんだ」「えっ?」。それで、慌ててロッカーでスパイクを履いて、ブルペンに向かったんです。
すでにブルペンでは、第1戦、第4戦で勝つことができなかった江川さんが、「(この試合の)最後は自分」という強い思いで、肩を作っていました。
あそこは江川さんで行くべきでしたかね‥‥。ブルペンで並んだ時、江川さんの心境までわからなかった。もし僕がブルペンで待機していて、どっちで行くかわからないと言われていたら、僕も気持ちの準備ができていたでしょうけど、「早く肩を作らなきゃいけない」って、気持ちが焦るばかりでしたから。
9回裏の登板を指名されたのは西本。しかし、1点のリードを守りきれなかった。藤田元司監督は延長10回裏に江川を投入する。西本は控え室のモニターから、ライバルを見守っていた。
もうそこは「頼んだぞ」と‥‥。自分は抑えきれなかったというのがあるんで、そこは江川さんにきちんと抑えてもらって、チームが勝つ方向にって。それだけを考えていました。「打たれろ」とは、まったく思わなかったですね。
しかし、ライバル・江川の気持ちは9回裏のマウンドに選ばれなかったことで、完全に切れていたのだろう。サヨナラ打を浴びるのだった。
2日後、第7戦の先発マウンドに上がった西本も、6戦目の登板が響いたのか、敗戦投手となり、巨人は日本一を逃したのである。
そして4年後の87年シーズンオフ、西本は疲れを癒やすため、温泉旅館にいた。何気なくテレビをつけたら、江川が会見を行っている。江川が引退を表明したのだ。「ふざけるな」って思いましたね。自分はどうすればいいんだって。1回くらい、勝ち星で上回りたかったのに、もう抜くことができないわけでしょう?
僕の目標が消えるわけです。何のためにやってきたのかって。それでも、江川さんの人生ですからね。
江川さんと過ごした9年間は、本当に僕を成長させてくれましたね。僕は江川さんとレベルが違います。「下」ですから、「下」のほうにいる僕にしてみると、「抜きたい」っていうのが夢、目標でした。本当の意味でライバルだったから、感謝の気持ちでいっぱいですよ。
89年に中日に移籍すると、プロ野球での通算勝ち星でだけは絶対に江川さんを抜いてやろうって思い直してプレーを続けました。
当時を振り返ってみると、いつも「江川さんに勝つ」という目標があったから、つらい練習も乗り越えることができた。そして通算勝ち星でやっと、江川さんを超えたんです(西本165勝。江川135勝)。
目標のない人は苦しいでしょう。だからね、本当にもう、成長させてくれた江川さんには、「ありがとうございます」って、ずっと感謝しています。