かつて球界の盟主・巨人には、エースの座を争った2人がライバル心をむき出しにして投げ合っていた時代がある。「とにかく鳴り物入りで入団してきた、1学年上の大物に勝ちたい一心だった」─。現ロッテ・西本聖投手コーチが、江川を追い続けた9年間を激白する。
「来るな!」と思っていた
江川さんが巨人に入団するという第一報を聞いたのは、羽田空港でした。春季キャンプで宮崎に向かうところで、「小林繁さんが来ない」っていうんで、ざわついていた。その時は「来るな!」って思いましたね。
1人の力ある投手が入ってくるということは、その分、先発ローテーションの枠がなくなるわけですよ。自分はプロ5年目で、実績のない、これから実績を作ろうとしていた時でしたから、当然、「(先発枠から)外れるのは自分だろう」って思っていました。そう考えれば考えるほど、「来るな!」って思いましたね。
78年、野球協約の一部が改定された。新協約の効力が発動されるドラフト日の前日、11月21日に、いわゆる「空白の1日」を利用して、巨人は江川卓(57)と入団契約を結んだのである。
しかし、当時の金子鋭コミッショナー、鈴木竜二セ・リーグ会長はこれを却下。この裁定を不服とし、巨人は同年ドラフト会議をボイコットしたが、阪神が江川を指名。翌79年1月31日、異例の裁定で「小林繁との交換トレード」が成立した。この決定に、ドラフト外からはい上がって一軍の先発ローテ枠をつかみかけていた西本聖(55)が、おもしろく思わない反応を示したのも当然のことだろう。
ここから西本と怪物・江川のライバル物語がスタートしたと思われがちだが、実は西本には、高校時代に江川を強く意識するようになった原体験があった。
江川さんを意識したのは、松山商業時代からでした。江川さんは作新学院で甲子園にも出ていて、僕よりも1学年上なんですが、「甲子園に出たら当たるだろう」と、監督さんが考えていて、僕らは栃木県まで行って、練習試合をしているんです。甲子園の中継を見ただけでも、「すごいな。本当に1学年しか違わないのか!?」と感じていましたが、実際にバッターボックスで江川さんのボールを見たら、驚きというより、感激しましたよ。よく江川さんの投球に関して、「ボールが浮き上がってくる」という表現を聞いていたんですけど、本当に浮き上がってきたんですからね(笑)。