午後7時半過ぎ、人民大会堂にいた田中らのもとに、中国側儀典長の韓叙が訪ねてきた。
「今夜、毛沢東主席がお会いしますので、お越しください」
急遽、午後8時半から毛主席と会談することになった。場所は、北京・中南海の毛沢東邸。中国側からは周恩来首相、姫外相、廖承志外務省顧問が出席した。
毛沢東は、付箋のついた書籍に埋まるようにして椅子に座っていた。田中らが入っていくと、3人と握手を交わした。
一同が席に着くと、毛は小さな葉巻を吹かしながらみんなを見まわしながら言った。
「もう喧嘩はすみましたか。喧嘩しなくちゃダメですよ。喧嘩して、初めて仲良くなるのです」
毛は、「喧嘩はすんだ」という表現で、日中交渉はおおむねまとまったのだろう、という意思表示をしたのであった。
田中は言った。
「周首相と円満に話し合っております」
毛は、同席していた中日友好協会会長でもある廖承志を指差して、冗談を言った。
「廖は日本で生まれたんですから、田中さん、ぜひ今度日本に連れて帰ってください」
田中も、ユーモアで答えた。
「廖先生は日本でもなかなか有名です。参議院選挙で立候補されたら、当選されます」
この会見で、交渉は事実上のヤマを越した。
9月28日午後6時30分、人民大会堂大広間で田中首相主催の答礼の夕食会が開かれた。田中は挨拶した。
「今や国交正常化という大事業を成就できるものと確信しております」
翌29日午前10時18分、人民大会堂「西大庁の間」で、日中共同声明調印式が行われた。
午後1時40分、田中ら一行は、北京空港から上海に向かうことになった。
周自らも小型機に同乗し、共に上海に向かうことになった。
機内の仕切られた特別室で、田中と大平は、周首相と向かいあって座った。
やがて、互いの健康を祝して乾杯し、少し杯を重ねただけで、田中は大いびきをかきながら眠ってしまった。疲れが相当たまっていたのだろう。
周は、大平らに言った。
「疲れているようです。このままにしておきましょうよ」
田中らは上海に着き、午後7時、上海工業展覧館で、張春橋主任主催の歓迎夕食会が開かれた。
この最後の夜は、田中も大平も、さすがに緊張の糸がゆるんだのであろう。乾杯に次ぐ乾杯で、ついにマオタイ酒が飲めなくなるほどに飲んでしまった。乾杯ゆえ、薄めずにストレートで飲まなくてはならない。
田中は音をあげ、大平に言った。
「総理代行で、乾杯してくれ」
この日の夜遅く、台湾の国民政府は外交部声明を発表、対日断交を宣言した。
9月30日午前9時半、田中らは、日航特別機で上海空港を出発して、帰国の途についた。それから1時間ほどした時、大平が田中に言った。
「おい、生きて帰れたなあ‥‥」
田中も、しみじみと言った。
「生きて帰れるから、日本の土も踏めるのさ」
作家:大下英治