06年のドラフトで巨人に1位指名で入団した坂本勇人。08年に8番セカンドで開幕スタメン入りを果たすと当時、ショートのレギュラーだった二岡智宏(元巨人など)の故障もあり、早々とショートでの起用となった。
以後は不動のスタメンとして活躍、現在は第19代主将としてチームを牽引しているが、じつはドラフト当時の評価は“B”。良くて“Aマイナス”程度の評価だった。この年のドラフトで高校生野手最大の目玉は“特A”の愛工大名電(愛知)の堂上直倫(現・中日)。巨人は1巡目の入札指名でこの堂上を指名するが、抽選で外してしまう。結果、外れ1位で将来性を見込んで坂本を指名したのである。
坂本は光星学院(現・八戸学院光星=青森)の1年生の秋からショートのレギュラーに定着。06年の春の選抜で初めて甲子園の土を踏んだ。初戦でダース・ローマシュ匡(元・日本ハム)擁する優勝候補の関西(岡山)と対戦。このプロ注目の好投手から1回裏にいきなりレフト前へ先制タイムリーヒットを放つ。初球の甘いカーブを見逃さない思い切りのいいスイングで勝負強さを見せつけた。5回裏の第3打席ではライト前ヒット、9回裏の第5打席ではショートへの内野安打と猛打賞の活躍。さらに2盗塁も決めている。試合は4-6で敗れはしたが、プロ注目の投手からチームが放った6安打のうち半数が坂本。その存在感を示したのである。
だが、坂本にとっての甲子園はこの1回だけに終わる。春夏連続出場を狙ったその夏の青森県予選では決勝戦で県内最大のライバルである青森山田の前に4-5で惜敗。坂本自身もこの試合、4打数ノーヒットと大ブレーキで、目前で夏の選手権出場を逃してしまった。
結果、夏の舞台では記録が何一つない悲運のスターだが、もしも夏の甲子園に出場し大暴れしていたら、外れ1位であっさり巨人に入団とはならないビッグな存在になっていたかもしれない。
(高校野球評論家・上杉純也)