先ごろ、みごとにメジャー史上30人目のMLB通算3000本安打を達成したイチロー。希代のヒットメーカーであることは誰もが認めるところだが、その特筆すべき野球センスは中学時代から地元の愛知県内では広く知れ渡る存在だった。
89年春。多くの高校から誘われた末、愛工大名電に進学したイチローは1年時から早くもレギュラーを獲得。90年夏の2年時には3番レフトで甲子園に初出場する。初戦の相手はこの年のドラフトの目玉といわれた本格派右腕の南竜次(元・日本ハム)擁する天理(奈良)だった。その第1打席にセンター前へ華麗に弾き返し、甲子園初安打を記録。しかし、これがイチローの最初で最後の甲子園でのヒット。その後の3打席は凡退し、チームも1-6で敗退。期待に反して、見せ場もなく甲子園を去ることになった。
それでも翌91年春の選抜でイチローは再び甲子園にその姿を現した。しかもエースで3番。まさに投打の軸だった。その初戦の相手は、この年の甲子園のアイドル投手となる上田佳範(元・中日など)擁する松商学園(長野)。
試合は初回から動いた。1回表、投手イチローは先頭打者の二塁打などで2死二、三塁のピンチを招く。ここで松商学園の5番上田にライト頭上を越えるタイムリーツーベースを打たれ、早くも2点を先制されてしまう。しかし、その裏に名電も反撃。先頭打者のソロアーチと5番打者のタイムリーですかさず試合を振り出しに戻したのである。
このまま試合はイチローと上田、両エースの踏ん張りでこう着状態に。ところが迎えた8回表、粘投していたイチローの投じた不用意な一球が試合を決めてしまった。2死後に四球を与えると次打者に甘く入った初球のストレートを狙い打たれ、左中間を深々と破られてしまう。結果、2-3で昨夏に続く初戦敗退となった。この試合、投手イチローは被安打10の4奪三振で失点3の及第点。だが、打者イチローは上田の前に5打数無安打と完全に抑えられてしまう。結局、甲子園では通算9打数1安打。そして、これがイチローにとっての甲子園最後の試合となってしまうのである。
3年最後の夏は県大会決勝戦まで勝ち進むも、ライバルだった東邦の前に0-7の完敗。3打数ノーヒットで高校最後の試合を終えた。残念ながら、当時の高校野球ファンの記憶には残らないイチローの夏となった。
しかし、それでも高校3年間の通算成績は打率5割越え。最後の夏の予選に至っては、実に7割越えを記録。「センター前ヒットなら、いつでも打てる」とは当時のイチローの名言だが、甲子園では証明しきれなかった言葉がウソではなかったことを、数年後、世界中の野球ファンが思い知るのである。
(高校野球評論家・上杉純也)