春夏の甲子園の歴史を通じて、1試合最多&連続の奪三振記録の両方を持つ投手がただ一人いる。13年のドラフトで楽天に1位指名され、現在はクローザーとして活躍する松井裕樹だ。
松井はたった1回の出場となった甲子園で最大級のインパクトを残した。それが桐光学園(神奈川)の2年生エースとして出場した12年夏の選手権である。
その投球ぶりは県予選から脚光を浴びていた。“超高校級”と謳われた“魔球・縦スラ”を武器に神奈川県大会の本命と目された横浜相手に被安打3、11奪三振をマークすると、準決勝の平塚学園戦では10奪三振。決勝では桐蔭学園からなんと15奪三振。チームを5年ぶりの夏の甲子園へと導く原動力となったのである。
その左腕から繰り出される高速スライダーは甲子園でもファンの目を釘付けにした。1回戦の今治西(愛媛)との一戦で甲子園春夏通算で最多となる1試合22奪三振の大会新記録を打ち立てたのだ。しかも連続三振も春夏通算で新記録となる10連続をマーク。被安打わずか2の完封劇でもあった。続く2回戦の常総学院(茨城)戦でも毎回の19奪三振。3回戦の浦添商(沖縄)戦は被安打4で4-1の完投勝利。この試合では相手打者が打席で投手よりに立ち、ソフトボールのようなノーステップ打法を取り入れてきたことから、なかなか三振が奪えなかった。それでも8回から6連続三振を奪って、最終的には12奪三振をマークしたところに松井の真骨頂が伺えた。
いよいよ準々決勝である。相手は春の選抜準優勝の光星学院(青森)。この試合でも松井は毎回の15奪三振の力投を見せたが、打線の援護なく、0-0で迎えた8回表に田村龍弘(現・ロッテ)と北條史也(阪神)に連打され3失点。0-3でついに力尽きた。敗れたものの、1大会で3試合目となる毎回奪三振達成は夏の大会史上初となる大快挙であった。
結局、松井はこの大会で36回を投げ、被安打18、防御率2.25。4試合連続の二ケタ奪三振で合計68奪三振をマークした。これは夏の選手権では歴代3位の記録であり、左腕投手では歴代最多記録である。だが、それでも3年の春夏はともに甲子園出場を果たせなかった。県内のライバル校から徹底マークされてしまったからである。それでも、ただ1度の出場で球史に燦然と輝く記録を達成した松井の勇姿は永遠に色あせることはないだろう。
(高校野球評論家・上杉純也)