今シーズン、MLBから5年ぶりに日本プロ野球界へ復帰したソフトバンクの和田毅。8月6日現在でパ・リーグでトップの12勝を挙げ、みごとな凱旋復活劇を見せている。彼もいわゆる“松坂世代”で、97年夏の選手権には浜田(島根)の2年生エースとして甲子園初出場を果たしているが、当時のストレートの最速は120キロ程度。のちのメジャーリーグどころか、日本のプロ野球から注目される存在でもなかった。
しかも、甲子園初マウンドの相手は秋田商。当時としては公立校同士のいかにも“高校野球らしい”対戦カードに過ぎなかったが、相手校のエースも当時は無名だった石川雅規(現・ヤクルト)。実はのちのエース左腕対決となっていたのである。
試合は和田が8回まで秋田商打線を被安打4、2奪三振。与四球わずか2と制球も安定し、1失点に抑えていた。対する石川は被安打6、7奪三振、与四死球3で3失点。こうして3-1と浜田がリードして9回裏を迎えたのだが、その9回裏にドラマが待っていた。突如和田が崩れたのだ。連打で無死一、二塁のピンチを迎えると、続く打者の送りバントをなんと和田が一塁へ悪送球。さらにカバーに来ていたライトも三塁へ悪投し、一気に同点、さらに無死三塁と勝利目前から一転、逆転サヨナラのピンチに立たされてしまった。ここで浜田ベンチは満塁策を選択。次打者は和田と投げ合ってきた石川だった。そしてこの石川に対して和田はストライクが入らず、まさかのストレートの四球。最後はあっけない押し出しのサヨナラ負けで、幕が降りたのだった。
この逆転サヨナラ負けのリベンジを果たすべく、和田は翌年夏の選手権で再び甲子園に帰ってきた。初戦で新発田農(新潟)を5-2で降し、待望の甲子園勝利を挙げると、3回戦では強豪の帝京(東東京)に3-2と競り勝ち、ついにベスト8進出を果たしたのである。
迎えた準々決勝の相手はスラッガー・古木克明(元・横浜など)を擁する豊田大谷(東愛知)。和田はこの古木からの奪三振2を含む9奪三振の好投を見せたが、3-3の同点で迎えた延長10回裏に力尽きた。1死満塁のピンチからヒットを浴び、2年連続、無念のサヨナラ負けで甲子園を去ることに…。
その後、和田は早稲田大学に進学。フォーム改造で球速を上げ、ついにはこれまでの東京六大学野球の奪三振記録だった443を更新する476三振をマーク。神宮での活躍に何気なく眺めていた観客が「あの和田か!」と驚くほどの変貌を遂げ、プロ注目の投手として各球団が争奪戦を展開するまでになっていた。甘いマスクで活躍したあの夏から4年後のことだった。
(高校野球評論家・上杉純也)