さて、武は地方の重賞でも99勝している。そこには歴史的名馬もいたが、1頭あげるとすれば、スマートファルコンではないだろうか。騎乗した最初と最後だけは敗れたが、あとは重賞を9勝(うちGIを6勝)。それも、ほとんどワンサイドと言っていい豪快な逃げ切り勝ちだった。
忘れてならないのは、スマートファルコンに騎乗した10~12年は落馬事故や有力馬に乗る機会の減少で、低迷していた時期だったことだ。不遇時の武を、パワフルな逃げの走りで支えていた印象がある。余談だが、栗毛が美しいこの馬に乗っている時は、武が年よりもずっと若く見えたものだ。
ここまで、勝利したビッグレースの「神騎乗」を振り返ってきたが、「負けてもスゴかった」のが、稀代の天才たるゆえん。
南井克巳のオグリキャップにハナ差負けした89年のマイルチャンピオンシップ(GI)がその一つである。
武が騎乗したバンブーメモリーは、直線で前を行くオグリキャップを一瞬にしてかわしていく。まさに「はじける」ようだった。その瞬間、武は「勝った」と思ったに違いない。
しかし、ここから予期せぬことが起る。南井の剛腕に導かれるように、オグリキャップが差し返してきたのだ。そして2頭並んでゴール。スロー映像を見るまでは、どちらが勝ったのかわからないほどだった。
後日、「競馬の神様」と呼ばれた大川慶次郎氏から聞いた話が今も忘れられない。
「ユタカは紳士だねぇ。1馬身前に出ていたんだから(オグリの)前に入ってもよかったんだ。加賀(武見・昭和を代表する名騎手)だったらそうしただろうね」
確かに前をよぎるようにしていれば、バンブーメモリーが勝っていただろう。
そしてエイシンガイモンで2着に惜敗した95年の朝日杯FS(GI)。朝日杯といえば、武が唯一勝っていないJRAのGIである。
エイシンガイモンは、内の2、3番手を行く本命馬バブルガムフェローを眺める格好で、道中中団を進む。勝負どころでまくっていき、4コーナーを回ったところでは先頭に立つが、坂を上がったあたりで追撃してきたバブルガムフェローにかわされてしまう。それでも、粘り抜いて4分の3差の2着。力は出し切ったと言えるのではないか。
この騎乗ぶりは何ら問題はないと思われた。ところが、競馬週刊誌で「早仕掛け」と批判され、
「それを見た武が激怒し、珍しく反論。同誌の取材を拒否する姿勢に出たのです。のちに手打ちすることにはなりますが、その意味でも思い出深いレースと言えるでしょうね」(競馬解説者)
今年も天皇賞(春)の圧巻の騎乗でキタサンブラックに戴冠させるなど、「神のさばき」は衰えを知らないのである。
兜志郎(競馬ライター)