もはや誰も近づくことができない通算4000勝。途方もない数字にたどりついた競馬界の至宝のレースぶりを思い出せば、脳裏によみがえるのは、競馬ファンをうならせた「神騎乗」の数々。天才と呼ばれるゆえんでもある究極の名人芸を、秘話とともに再現する。
前人未踏の金字塔は、9月18日の阪神4Rで打ち立てられた。中央3835勝、地方154勝、海外11勝。足かけ30年で、4000勝に到達したのだった。
武豊(47)が初めてGIを勝ったのは、デビュー2年目の88年、スーパークリークで挑んだ菊花賞だった。武自身、「僕の原点とも言うべき馬」と語るほど、この馬への思い入れは強い。
スーパークリークは直前まで除外対象だったが、直前で出走予定馬の回避や故障などもあり、レースへの参加がかなったのだった。ただ、18頭中17番枠。決して有利な枠ではなかった。そこで武が思い浮かべたのが、78年に父・武邦彦がインターグシケンで勝った同レース。16番枠だったが、スタート後にピタリと内に寄せて回ってきた騎乗ぶりだった。
「これでいこう」と決めてゲートを出た武は、同じように乗った。競馬解説者が振り返る。
「勝負を決めた大事なポイントが一つ。4コーナーを回るや、すばやく最内に進路を取ったことでした。前を走っていたカツトクシンがコーナーで外に膨れることを、過去に4回、この馬に騎乗した経験から知っていて、内が空くだろうと狙っていたのです」
狙いはまんまと的中し、抜け出してからは追うごとに他馬との距離を広げるだけだった。
これでわかるように、武は騎乗馬のみならず、他馬のことも入念に調べてレースに臨む。そのため、いつしか「歩く競馬四季報」と呼ばれることになる。レースはスタート前に始まっていることを、武ほど知らしめた人はいないだろう。
スーパークリークとともに「平成3強」と呼ばれたのが、イナリワン、オグリキャップの2頭だった。どの馬もそれなりに癖を持っているものだが、この2頭には特段に強い癖があった。イナリワンはかかり癖、オグリキャップは右手前で走るのが好きで、なかなか左手前に替えようとしないことだ。武はこの2頭の癖を十分に把握したうえで、GIを勝利してみせた。中でもみごとだったのが、イナリワンで挑んだ89年の天皇賞(春)である。
初騎乗にもかかわらず、かかり癖を上手にコントロールし、じっくりと後方から騎乗、その末脚を爆発させた。なんと、3分18秒8のレコード勝ちだった。
小島太が騎乗していた時は持っていかれてしまったのに、そんなことがまったくなかったのはなぜか。レース後、「折り合いだけに専念して乗った」と語った武は、
「他馬と一緒の調教だと興奮する馬でした。だから落ち着かせるために、他馬の調教が終わってから単走で調教騎乗していたんです。レース中もハミがかかりそうになったら抜いてやるなど、うまく制御していました」(厩舎関係者)
この勝利が「平成の盾男」の始まりだった。
兜志郎(競馬ライター)