新党「国民の生活が第一」を結成した小沢一郎代表に、この間、重い決断を迫ったのが「剛腕」の下、当選を果たした“親衛隊”女性議員「小沢ガールズ」だ。中には袂を分かち民主党に残った者もいたが、次の選挙への「不安」を顧みず一途についていく者も多かった。そんな彼女たちの“決意の理由”を連続直撃!
「同調者」への苛酷な締めつけ
政界が騒然となる時はいつも、「壊し屋」の異名を持つ小沢一郎(70)が主役だ。
ただ、今回は戦いのスタート光景がそれまでとは少し違っていた。野田政権の消費税増税に対して、陸山会裁判で無罪を勝ち取って(控訴中)政界復帰した小沢一郎は、「増税は国民への背信行為だ」と真っ向から反対した。
すると、6月14日発売の「週刊文春」に小沢の別れた奥方の手紙というのが掲載され、そこで小沢は東日本大震災の直後、“放射能が怖くて東北にも行かずに逃げた男”として描かれていた。
発売日前日の永田町にはゲラが出回り、それを手にした政界雀たちは、「誰かは知らないが、小沢潰しを始めたぞ」とつぶやいた。「10年も別居しているんですよ。その人が大震災の時だけ、そばにいるわけがない。ひどい捏造記事で、怒りを抑えきれませんよ」
小沢の秘書からスタートして、小沢の私生活の大方を知っている川島智太郎衆院議員(48)はそう憤慨したが、法案採決直前の6月22日になると、今度は、肉筆手紙のコピー11枚を同封した差出人不明の封書が、議員会館の全室と小沢の後援会「陸山会」の会員に送りつけられた。あまりのタイミングのよさに永田町では「これは小沢潰しじゃなくて〈小沢殺し〉だ。巧妙に仕組まれすぎている。誰が仕掛け人かわからないが、本気で小沢を殺す気だ」との声も上がった。
そうした小沢攻撃と並行して、小沢に同調する国会議員たちに対する厳しい締めつけが始まった。
選挙基盤の弱い議員たちには党支持基盤の連合(日本労働組合総連合会)から「次の選挙で票をやらないぞ」、被災地選出の議員たちに対しては、財務省から「あなたが陳情する復興案に予算はつけない」といった強烈な圧力がかかり、増税反対派は急減していった。
そうした一連の光景に、「小沢は息の根を止められるのじゃないのか?」と、多くの政治関係者は思った。それほどこの時点では小沢は劣勢に立たされていた。
「地方議員の立場から見ていると、不思議でならなかったです。不人気の野田政権が、何でよりによって、マニフェストに書いたことをやらずに、増税を突然に言いだしたのか。あれだけは今でも不可解です」(山口拓都議会議員)
6月26日、民自公の三党合意による消費税増税法案が衆院で可決された。「離党も辞さないと宣言する小沢一郎が政界で生き延びるには民主党内の反対票54票が必要だ」と皆が反対票の数を注視した。結果は執行部の激しい締めつけにもかかわらず57人が反対票を投じ13人が棄権・欠席。思わず小沢一郎はつぶやいた。
「よしっ」
その時の切迫した思いを、「小沢四天王」の一人、佐藤公治参院議員(52)がこう語る。
「誰かが民主主義の旗を振らなければ、この国は滅びてしまう。誰も振らないなら自分らが振るしかない。みんなで覚悟して増税反対の旗を振った。これはね、政治家がどうとか以前の、人としての問題です。人は信義を裏切ってはいけない」
もう一つ、この採決劇で小さなドラマがあった。
永く小沢の盟友だった羽田孜元首相(76)が、病気を理由に採決を欠席したのだ。多くの人は見過ごしたが、これは、長男の雄一郎(44)を国交大臣として人質に取られた羽田の、盟友小沢に対するせめても友情の証しだった。理由が病気であったためか、現職大臣の父親であったためか、羽田孜はたった1人処分対象から外された。