かつて「政治の季節」と呼ばれた時代があった。学生や市民が右翼と左翼に分かれ、激しく対立する1960年からの10年間のことだ。週刊アサヒ芸能が伝えた当時の“熱気”をプレイバック。
60年1月15日、羽田にデモ隊が集結した。日米安保条約改定調印のために岸信介総理が渡米するのを阻止しようというのだ。いわゆる「60年安保闘争」である。この闘争の主軸となったのが、「全学連」の学生たち。同年6月15日に闘争はピークを迎える。同日午後5時過ぎ、「安保反対」を唱える学生が国会突入を敢行。その時、悲劇が起きる。
突入時に東大女子学生が死亡したのだ。60年7月10日号で「樺美智子さん死因のナゾ」という記事を掲載する。「圧死」とされた死因に樺さんの父親が疑義をこう投げかけた。
「娘は殺されたのです。娘はまず警官に頭を殴られ、さらに首を腕で締めつけられ窒息状態で倒れ‥‥」
そして、樺さんが血の気がうせた状態で倒れている写真を掲載。当時の政府は疑惑を否定するが、女学生の死は左翼運動が高まる契機ともなった。これに対して、右翼陣営も黙っていなかった。60年10月12日に社会党の浅沼稲次郎委員長が演説会の最中に右翼青年に刺殺されたのだ。10月30日号に「浅沼家、憤りと悲しみの一週間」を掲載。悲しみに暮れる妻や娘だけでなく、愛犬ジロウの落ち込む様子まで丹念にルポしたのだった。
60年代のイデオロギー対立は、時に政治と無関係と思われるニュースにも波及する。例えば、66年6月のビートルズ来日。66年7月3日号には「右翼が亡国ビートルズ襲撃!」と衝撃的な見出しが躍った。行動派右翼の大日本愛国党・赤尾敏総裁が、
「中共は挙国一致で自国の強化につとめている。日本も緊張して再建運動に励むべきなんだ。なのに歌って踊ってのバカ騒ぎ。ビートルズはほうっておくわけにはいかんじゃないか」
と、ビートルズ来日に浮かれる世情が亡国を助長すると語り、一部の右翼団体に「襲撃計画」があることを報じている。
襲撃はなかったが、この記事で右翼に詳しい大学教授の弁として「右翼が行動すべき対象をなくしている」と指摘。左右両翼の運動の退行を示唆したのだ。
そして、70年、「政治の季節」の終焉を象徴する大事件が発生する。11月に起きた作家・三島由紀夫氏の自決だ。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乗り込み、隊員にクーデターを呼びかけたのちに、割腹自殺を遂げる。
年末の特大号12月24日号で「三島事件以後右翼陣営はなにをやる!?」と題した大特集を掲載。右翼の大物、児玉誉士夫氏にインタビューして、これからの民族運動について語ってもらった。
「一部の運動者のみの行動では民族全体の運動には発展しない。これからは国民運動でなければならない」
はたして、現在の「ネトウヨ」を、天上の民族派はどう見ているだろうか。