実に40年にわたる長期連載だった「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の終了は、国民的なニュースとなった。そんな名作に、原作者を激怒させた実写版があるのをご存じだろうか?
──ラサール石井でも香取慎吾でもなく、せんだみつお(69)こそ「初代の両津勘吉」でした。
せんだ 東映の「トラック野郎」と同時で、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」も77年12月24日の公開だから、栄光の正月映画ですよ。
──大きな期待がかけられていたんですね。
せんだ 岡田茂社長(当時)に「せんだ君、これ、寅さんに負けない両さんで頼むよ」と言われました。ということは「男はつらいよ」と同じく、シリーズ化の期待がかけられていたんですよ。
──ところが、この東映版はたった1作のみ。しかもソフト化もされないという黒歴史扱いです。
せんだ うーん‥‥、今、思い返せば、僕は77年というと時代の寵児だったんですよ。それで原作の秋本治さん、当時は「山止たつひこ」と名乗ってらっしゃいましたが、秋本さんはまだデビューされたばかりでしょ?
──確かに連載開始から1年後の映画化ですね。
せんだ 制作発表で顔を合わせて、会見も隣の席だったんですけど、僕は生意気だったから「よろしくお願いします」とも言わなかった。それは僕の番組の構成作家から羽ばたいた秋元康さんに対してもそうだけど、「タレントのおかげで食えてんだろ?」みたいなおごりが態度に出ていた。あの映画から40年近くたったけど、作者の秋本さんに非礼があったならばおわびしたいですね。
──映画の内容についても、秋本氏は激怒したとの話も伝わっています。原作を無視して「ナハナハ」のオンパレードだったとか。
せんだ どんな内容だったかほとんど覚えていませんが(笑)、確かに原作だけではストックがなかったんでしょうね。オリジナルにはない「オカマのホームレス」として田中邦衛さんが出ていたり、ドタバタした内容だったかもしれません。あっ、それに当時、大人気だった「Gメン’75」(TBS系)のメンバーが、丹波哲郎さんを筆頭に総出演しているんですよ。
──それは、どういった必然性で?
せんだ いや、監督の山口和彦さんが「Gメン」も撮っていて、スタジオも同じだったから無理やり出させたという(笑)。
──そうした東映ならではのアバウトさが、原作者の逆鱗に触れたのかもしれませんね。さて、連載終了した「こち亀」に対しては、どんな思いですか?
せんだ 終わると発表された時に、僕にも取材が殺到するかなと思ったら、あまりにもなくて拍子抜けしました(笑)。実写第1号になったのは今でも僕の誇りですし、秋本治さんには何十年もお疲れさまでした、ゆっくり休んでくださいとお伝えしたいですね。