“見えない何か”に怯えていた
柳町は撮影の合間に、共演者の安岡力也と「心霊談義」に高じる喜和子の姿を何度も見ている。
「おい喜和子‥‥連れて来たな?」
「うん、私の周りにいるよ」
もともと持っている霊感の強さに加え、今で言う「パワースポット」の熊野の磁場が、より尖鋭的な能力にさせてしまったようだ。
柳町は、後に聞く喜和子の訃報にも作品との「奇縁」を感じた。監督の前ではおくびにも出さないが、メイクなどのスタッフには小声で漏らしていた。「あの映画には小舟の上だったり、川のふちだったり、水にまつわる描写が多い。本人は女優根性で乗り切ったけど、何度も『水が怖い』と口にしていた」
もともとが泳げない体質とはいえ、その怖おそれ方は、“見えない何か”におびえているかのようだった‥‥。ただ、こうした部分をのぞけば、柳町にとっては実に頼もしい女優だった。
「久しぶりの映画の主役ということで張り切っていたし、責任感も強く持っていた。一部でわがままって評判もあったけど、現場ではそつなくまとめてくれたし、キャンペーンにも協力してくれましたよ」
完成した作品は「毎日映画コンクール日本映画優秀賞」を取るなど、高い評価を得た。そして公開から7年後、柳町は偶然、熱海から伊東にかけて仲間とドライブに出かけた。
「伊東の街に『唐人お吉ものがたり』の看板が出ていました。あと2日で公演だったので、もし、その日にやっていれば喜和子さんの楽屋に挨拶に行ったのですが‥‥」
直後にワイドショーで伊東での訃報を知り、何という偶然だろうかと思った。たまたま調べたら、実在したお吉の母親が「きわ」という名前だったことも知った──。
喜和子にとっての最後の公演は「文学座」の主催だったが、そこには師である加藤武も同行していた。加藤は、お吉を妾にするアメリカの総領事・ハリス(役名はハルリス)に扮していた。
思えば喜和子が俳優座を辞め、文学座に移籍してきた67年からの縁だったと加藤は回想する。
「翌年の『美しきものの伝説』という舞台だった。ここで喜和子は大正時代の演歌師として、バイオリンを奏でながら活弁調にセリフを言う。その口上──『須磨子は来るのか来ないのか、あとはこの場のお楽しみィ‥‥』を教えてあげたのが最初。喜和子はケラケラと笑って『それを私が言うんですか?』って聞くんだ。ヘンな女、ヘンな研究生だなと思ったよ」
ただし、3年後に同作品が再演されると、喜和子はヒロインの伊藤野枝役に抜擢されている。その出世の早さは、大いに目を見張るものだった。