あれから─20年の歳月が流れた。日本を代表する天才女優・太地喜和子が、突然の水難事故によって、48年の生涯を終えた日から。その豪放な女優は恋に生き、酒を愛し、芝居に命を燃やした。事故であるにもかかわらず、どこか〈殉死〉と思わせるのはなぜだろうか─。
自殺した田宮二郎の顔にキス
〈やはり、喜和子も女優として役に魅入られてしまったのか‥‥〉
フジテレビのプロデューサーだった小林俊一は、太地喜和子の突然の訃報にそんな思いを抱いた。
92年10月13日未明、喜和子は酔ったまま夜明けの海へドライブに出かけた。しかし、車が海に転落するという事故に見舞われ、同乗の3人は車から脱出したが、逃げ遅れた喜和子は帰らぬ人となってしまう。
〈田宮二郎も太地喜和子も、俺たち常人と違う気質を持った役者は、それだけ役に入り込んでしまうんだろうなあ‥‥〉
小林は、テレビドラマの金字塔とされる「白い巨塔」(78年/フジテレビ)を手がけた。主演の財前五郎に田宮を、その愛人の花森ケイ子に喜和子を起用した。常々、役者とは「観客に足を運んでもらう」ことを持論とする喜和子は、映画や舞台に比べ、ドラマの出演は驚くほど少ない。それでありながら、母性愛に満ちたケイ子の役は、評価の高い代表作となった。
後に発覚した話ではあるが、主演の田宮は極度の躁うつ病を抱えていた。小林は、田宮の病状とも闘いながら撮影を重ねた。「最初に気がついたのはライバル医師を演じた山本學。それから喜和子が、田宮をいつも役名で呼んでいるんだけど『五郎ちゃん、ちょっとおかしいんじゃない?』と言ってきたね」
それでも、喜和子は役柄のケイ子と同じく、包み込むような気持ちで田宮と接する。田宮が演じた財前五郎は、ガンの権威でありながら、教授選や医療裁判に追われて手術不能のガンで死んでゆく。遺体となって運ばれるまでを田宮みずからが演じ、その仕上がりを「役者冥利に尽きる」と満足げだった。「撮影が終わって、12月26日の夜に田宮と喜和子と僕の3人で飲みに出かけた。その日の田宮はいつになく上機嫌で『もう1軒!』と言うのだが、喜和子が目で『お開きにしましょう』と訴えるものだから、1次会だけで別れたんだ。今から思うと、もっと話を聞いてあげればよかったかもしれないね」
その2日後、12月28日の朝に田宮は、猟銃による自殺を図った。通夜に訪れた喜和子は、田宮の夫人に「死に顔をぜひ」と言われ、遺体にしがみついて顔にキスをしながら言った。
「五郎ちゃん、あんた、どうして死んでしまったの。あんたって純粋すぎてバカよ!」
それはまさしく「女優」として、どこか田宮の心情を理解しているようでもあった。この時点で「白い巨塔」は2話の放映を残していたが、誰よりも強く放送続行を主張したのが喜和子だったという。結果、最終話は31・4%という驚異的な視聴率を挙げた。
小林は原作者の山崎豊子に田宮の自殺を告げると、すかさず「猟銃でしょ」と返ってきた。同じ山崎原作で、田宮が出演を熱望した「華麗なる一族」に、やはり猟銃で命を散らす主人公・万俵鉄平がいる。田宮は財前五郎、そして万俵鉄平と同化してしまったのだと山崎は察した。
やがて時は流れ、小林は同じことを喜和子の訃報にも感じた。
「海に落ちて死んだと聞いて、最後の舞台だった『唐人お吉ものがたり』と一緒になっちゃったなって」
喜和子は伝説のままに逝った女優となった─。