「刑務所の持ち物検査では、それまで所持が許されていたタオルや柄つきのシャツは全て取り上げられてしまいました。他にも、自ら命を絶つための道具になりそうな私物は全てダメでしたね」
割り当てられた雑居房には、2人の韓国人を含め、全部で6人の受刑者がいた。床はフローリングで、家具といえば食事用のテーブルと、壁に設けられた私物保管用の棚くらいだった。
「冬はとにかく寒かったのを覚えています。外は零下なのに、布団はなく、寝具はマットレスと毛布だけ。雑居房内には暖房設備もありません。モモヒキの上下や衣服をいろいろ着込んで、2枚の毛布で何とか寒さをしのいでいました」
朝は6時起床、7時に朝食。8時から17時までは1時間の休憩を挟み、洋裁工場で労務作業に従事した。
「月給は日本円にして約1万円。そのお金でお菓子などの食品が購入できるのですが、月に4万ウォン(約4000円)までと上限が決められていました」
刑務所内の食事は日本の刑務所と同様、質素で味気のないものだったという。
「基本的に主食は麦ごはんで、おかずもチヂミなどの韓国料理ばかり。スープの具がもやしだけだったことも。どれも薄味なので、自分でコチュジャンなどの調味料を購入して、味を調整していました。キムチだけは取り置きが許されていて、そのコチュジャンの空き箱に入れて、“発酵保存”したこともあります。そうそう、カレーに福神漬ではなく、大根の漬物がついた時は少し驚きました」
雑居房では他の受刑者に“まる見え”の状況で用を足さなければならない。
「房にあるトイレは、ガラス板で仕切られていました。上半身は完全にガラス張りで、下の部分だけ磨りガラスになっていました」
トイレットペーパーは同房の女囚らと持ち回りで購入したという。そして時にトイレは洗濯場となった。
「いくら洗濯していても、どうしても下着だけは汚れやすい。そこで房のみんなは、トイレの水でこっそり下着を洗濯していました。シャンプーで洗うと、少しいい匂いがしましたね」
入浴は週に3回。ごくわずかな時間内に済まさなければならなかった。
「日本のように、浴槽はありません。30人くらいが一斉に裸になって、シャワーを浴びるんです。制限時間は30分。週3回のうち1回は『髪しか洗えない』ルールで、たった15分しかシャワーを使えませんでした」
18時からの夕食を終えると、消灯の21時までは自由時間となる。
「テレビはありましたが、チャンネルを変えることはできず、指定されたドラマや音楽番組しか観ることができません。娯楽らしい娯楽といえば、月に1回のペースで開催される慰問のコンサートや映画鑑賞会くらい。手紙の発信回数が、ほぼ無制限だったのが唯一の救いでした」
そんな亜輝さんは11年に出所。現在は小さな店舗ながら、新宿・歌舞伎町でクラブを経営している。
「ダマされてクスリの運び屋にされたことも含めて、自分の悪い部分と向き合えるようになりました。今では服役したことを後悔していません」
彼女のように、朴大統領が自分の罪と向き合う日は訪れるのだろうか。