私人の崔氏が朴大統領と出会ったのは、崔氏の父親が関係していた。韓国紙記者が説明する。
「崔氏の父・太敏(テミン)氏は1970年代から仏教、キリスト教、天道教を調和させた新宗教を開きました。74年に朴氏の母・陸英修(ユ・クヨンス)氏が暗殺されたあと、太敏氏は当時22歳だった朴氏に手紙を送り、『夢で(お母様に)お会いして、見守るようにお願いされた』などと慰めながら接近したのです」
母親暗殺後、父・正煕(チョンヒ)大統領のファーストレディを継いだ朴氏は、しだいに太敏氏を青瓦台に呼ぶようになった。
「恋人のような2人の雰囲気に疑いを持った正煕大統領が、接触を禁止しました。それでも朴氏は聞く耳を持たず、太敏氏が創設した『大韓救国宣教団』の名誉総裁に就任。一緒に暮らしていた時期もあったそうです」(前出・韓国紙記者)
独身を貫く朴大統領にとって、初めて「彼氏」と呼べる存在だったのか──太敏氏はこれまで、6回結婚して3男6女の子宝に恵まれた。その5女である崔氏を大統領に引き合わせたのも、この時期だったという。
「79年10月に正煕大統領が暗殺されると、朴氏の周りから側近が離れていきました。人間不信になった時に寄り添い続けたのが崔氏。94年に太敏氏が亡くなると、ますます2人の距離は近づき、崔氏は『オンニ(お姉さん)』と朴大統領を呼んで慕っていました」(前出・韓国紙記者)
98年に行われた国会議員補欠選挙で、朴氏は政界入り。3年前に大統領の椅子に座ると、崔氏は「陰の権力者」として青瓦台を牛耳っていく。前出・韓国紙記者がこう説明する。
「大統領就任直後から、朴政権には『門番3人衆』と呼ばれる秘書官がいて、官僚らは大統領執務室に入れません。重要政策が密室で決められることに批判の声が出ていました。この3人の秘書官を推薦したのも崔氏だと言われています」
機密漏洩問題をきっかけに、崔氏の「悪事」が次々と発覚している。
「大統領府の後押しで設立された『Kスポーツ財団』と『ミル財団』を私物化した疑惑が浮上。設立資金を集める時、韓国の経済団体『全経連』に圧力をかけて約800億ウォン(約73億円)を集めたとして、11月2日に前政策調整首席秘書官の安鍾範(アン・ジョンボム)氏を逮捕。崔氏との共謀について捜査が進められています」(前出・韓国紙記者)
暴挙を許した理由は、「つらかった時に助けてくれた」だけでは説明がつかない。実は、朴大統領と崔氏を巡る「三角関係」の“私情”が含まれていたという。
先述した太敏氏に続き、朴氏に「男」の存在が浮上したのは、14年4月16日に韓国の大型旅客船「セウォル号」が沈没した時のこと。死者・行方不明者304人を出した大惨事の最中、事故発生から7時間にわたって朴大統領は音信不通が続いた。この時「密会」していたとされるのが、当時、崔氏の夫・鄭允会(チョン・ユンフェ)氏だった。