また、舞の海秀平氏はNHKの相撲解説で、
「日馬富士と稀勢の里の差は、師匠の差ですかね」
と言って、一方が横綱に昇進できて一方ができない理由を指摘したこともある。
そんな稀勢の里は田子ノ浦親方を避けるように部屋でちゃんこを食べず、部屋付きの西岩親方(40)=元関脇・若の里=の自宅で、ごちそうになることもたびたび。まさに部屋崩壊が稀勢の里の飛躍を阻んでいる、そんな状況だったのだ。
1月25日の伝達式での稀勢の里の言葉が、それを端的に表している。
「先代師匠の言われるまま、それを稽古場でやって‥‥。先代師匠と出会わなければ、今の自分はありません。本当に感謝しかない。(先代に)いちばん言われていたのは、『横綱になったら見える景色が違う』『横綱になったらわかることがある』ということ」
尊敬するのは田子ノ浦親方ではなく、先代。そういえば、初場所優勝から一夜明けての会見でも、
「(先代が)『横綱は孤独だ』と言っていました。孤独にならなくては相撲は取れない、と。一歩一歩、ゆっくりでも近づけるように努力したい」
千秋楽打ち出し後も、部屋に戻った稀勢の里は真っ先に先代の遺影の前に正座し、優勝を報告していた。
何においても、出てくるのは先代・鳴戸親方のことばかりという異様な光景。田子ノ浦親方は一切登場しない。事実、報道陣も質問で口にするのは、先代の名前だけだ。
田子ノ浦親方は伝達式で報道陣にコメントを求められると、蚊の鳴くような声でこう答えている。
「あまりいいアドバイスとか、なかなかできない歯がゆさもありましたし。もちろん、先代と比べられても勝ることは何もないです。私にできることは力を出せる環境を作るだけなので。あとはもう、恥ずかしながら祈るしか‥‥祈る気持ちで15日間を過ごしました」
稀勢の里には何も教えられず、蚊帳の外であることがよく伝わってくる。
対「モンゴル同盟」に加えて「身内の壁」との戦いも強いられ、あと一歩のところで苦汁を味わい続けた稀勢の里。それが一転して初優勝を果たし、横綱の座をつかんだ一因には、部屋崩壊の現状を報じた記事を読んで大いに奮起したことがあるのではないか──。
伝達式終了後、記者は部屋関係者や後援者らとの昼食会会場へ移ろうとする稀勢の里に声をかけた。
「『アサヒ芸能』です。記事を読んで奮起したんですか!」
新横綱は記者のほうをチラリと見やると、ニヤリ。そのまま会場をあとにした。後ろ姿には、横綱の風格が漂っていた。
「田子ノ浦親方とは朝稽古の時に挨拶ぐらいはするけど、ほとんど口をきかない。横綱になったことで、溝はさらに深まるでしょうね」(相撲部屋関係者)
土俵の外での戦いはまだ続くのだ。