竹島を巡る「密約」があった
自衛隊が竹島を奪還する能力は十分にあることはわかったが、その後の韓国軍の猛反撃に耐えることはできるのだろうか。
前出・世良氏は言う。
「そうなれば、自衛隊の戦力を日本海側に結集させなくてはならない。韓国も北朝鮮という敵国を抱えながら、南に軍隊を結集させなくてはならず、両国ともに戦争は避けたいところでしょう。もっとも、実際に戦闘行為となれば、自衛隊には厳しいROE(部隊行動基準)があり、韓国軍のような戦闘はできないのが現実です」
竹島問題が武力で簡単にカタがつかないことは、その歴史を見ても明らかだ。
1905年、日本の明治政府は竹島に外国の支配が及んでいないことを確認のうえ、島根県に編入した。ほとんど平地もない竹島は古来から漁猟地であり、日本の編入に関して韓国からの抗議はなかった。
ところが、韓国に言わせれば、竹島編入は1910年の日韓併合の始まりとなってしまう。戦後の1952年に李承晩大統領が、いわゆる“李ライン”を設定し、一方的に韓国の領土と宣言。サンフランシスコ講和条約で、日本の領地であることが認められたにもかかわらず、1954年から韓国は武力によって実効支配し、竹島に近づいた日本の漁民が韓国によって殺される事件も起きている。そのまま約60年が経過し、日本の領土でありながら日本からはたどりつけない地となっている。しかも、不法占拠している側が声高に文句を言い張る、という世界でも類を見ない領土問題となっているのだ。
前出・西牟田氏が言う。
「戦後の日韓国交正常化交渉が14年という長い年月を要したのも、この竹島問題が最大のネックでした。時の大統領が『独島を爆破してなくしたい』と言ったほどでした」
そこで、日韓基本条約の条文に、竹島問題を入れない代わりに、ある「密約」が交わされた。それは、竹島問題は棚上げし、お互いに領有権は主張し、反論し合う。さらに、韓国が竹島に新たな施設を造らないことも含まれていたという。
「残念ながら、この『密約』は文書としては残っていません。しかし、その後の日本の政治家の発言などから、『密約』があったことは確かなものと思われます。何より、日本政府と外務省はこの『密約』に沿った行動しかしていません」(前出・西牟田氏)
ところが、韓国は「密約」を破り続けている。ヘリポートや灯台を建設し、06年からは観光客まで上陸することを許すようになっている。また、竹島に上陸した李大統領は海洋科学基地建設を表明しているだけでなく、自分の名前が入った石碑まで作っている。
軍事力でも韓国を圧倒できる今こそ、その武力を使わずに日本政府はより強い対抗措置を取り、隣国に強力なブレーキをかけさせるべきなのだ。