日本勢のメダルラッシュに沸いたロンドン大会において、男子柔道は屈辱の「金メダルゼロ」に終わった。こうした苦境にこそ団結が求められるが、選手たちからは監督への不信感が噴出するばかり‥‥。
60キロ級で平岡拓晃(27)、73キロ級で中矢力(23)が銀を獲得。90キロ級の西山将士(27)、異例の逆転判定が記憶に残る66キロ級の海老沼匡22)がそれぞれ銅と、男子柔道は4つのメダルを獲っている。
確かに日本柔道界史上初となる「金ゼロ」は不名誉な結果とはなったが、試合を見届けた篠原信一監督(39)の行動は、世界を相手に死力を尽くした選手たちを愚弄するものだった。
協会関係者が明かす。
「金メダルを獲得することができないとわかるや、篠原監督と全柔連の吉村和郎強化委員長(61)は何も話すことはないという様子で宿舎に引き揚げていました。銀や銅を獲得した各選手たちが試合を終え表彰台に上がるにもかかわらず、それを見ることすら拒否したんです」
篠原監督といえば、2000年のシドニー五輪で“世紀の大誤審”によって銀メダルに終わった苦い経験を持っている。つまり、結果的には自身も金には手が届かなかったのである。にもかかわらず、平岡に対する態度はあまりに冷淡だったという。
「金を逃して落ち込む平岡に声をかけたのは試合の翌日ですよ。しかも笑みを浮かべながら、銀だったことを揶揄するような言葉を投げかけたといいます」(前出・協会関係者)
監督は選手に嫌われるものとは言うが、これではあんまりである。
先に触れたシドニー五輪で「自分が弱いから負けた」と殊勝な言葉を口にしてクリーンなイメージを築いた篠原監督だが、08年の日本代表監督に就任以来、“別の顔”を見せるようになったというのである。
「一部コーチを“カバン持ち”として使い、まるで代表監督の権力を誇示しているんです。人望厚かった、山下泰裕氏や斉藤仁氏の時代には考えられなかったこと」(スポーツ紙デスク)
そして、肝心の指導方法自体にも疑問符が付いてきたというのである。
「乱取りを繰り返させるのですが、対戦相手となるライバルを研究しての指導ではないので、方針が見えない。選手たちは不安を覚えるのに、『アホ』だの『ボケ』だのと罵倒を浴びせるばかりの根性論ですよ。そんな練習風景がテレビで放映されると、全柔連にはクレームの電話が殺到する。町の柔道場で子供たちに教える指導者たちは礼儀を教えているのに、トップたる篠原監督があれでは示しがつかないですからね」(前出・スポーツ紙デスク)
篠原監督と選手たちとの溝は深まる一方だったようである。そのうえ、吉村強化委員長の意向もあって代表選考にまで問題があったと指摘するのは、前出の協会関係者だ。
「根性論だっただけに、合宿や大会出場はオーバーワーク気味でした。裏で『ついていけない』『ケガしちゃうよ』とこぼす選手もいましたが、監督は個別に『出なければ代表に選ばない』と半ば恫喝のような言葉で従わせたといいます。『監督のために勝ちたい』と話す選手が少なかった理由がわかりますよね。国際柔道界にツテがあるわけでもなく、もはや『辞めろ』の大合唱ですよ」
「私の責任」と謝罪した篠原監督は、すでに進退を全柔連に一任している。
強い日本柔道の復活は監督交代から始まるのか。