「ファースト・レディ」でありながら奔放な昭恵夫人とは何者なのか──。来歴から素顔が見えてくる。
62年東京都生まれで、父親は森永製菓の元社長・松崎昭雄氏(86)。小中高とお嬢様学校で知られる聖心女子学院に通った。続けて進んだ聖心女子専門学校卒業後は、大手広告代理店「電通」の新聞局に勤務。グリコ森永事件が起きた84年頃、上司から安倍総理を紹介され、約3年後に結婚。バブル時代に通ったディスコ「ジュリアナ東京」には、嫁いでからも奔放に出没したという。
「韓国語を勉強するほど韓流にハマり、10年に自ら命を絶った俳優、パク・ヨンハの熱烈ファンでした。一緒に記念撮影した写真を大切にしているそうです」(自民党関係者)
そんなミーハーな性格は五十路になっても変わっていなかった。「女性セブン」(15年9月10日号)でミュージシャンの布袋寅泰(55)と飲食店での「ロマンス」が報じられたこともある。もともと20年来の大ファンで、自身のSNSで肩を組んだツーショット写真も公開していた昭恵夫人。「女性セブン」によると、電話1本で布袋を呼び出し、周囲の視線を気にせず、肩に頭を乗せたり、首筋にキスをするなど、ハメを外していたという。
カラオケの十八番は、布袋の妻・今井美樹(53)の名曲「PRIDE」でありながら、熱情のほうが勝ってしまったようだが、昭恵夫人を知る男性は別の泥酔現場をこう証言する。
「『布袋騒動』の前に昭恵夫人を含め、10人前後で飲みました。赤ワインをベロンベロンになるまで飲むと、艶っぽい視線で見つめ、吐息がかかる距離で話しかけてくるんです。スカートはだらしなく広がり、中が見えそうでしたが、総理夫人のそんな部分を見るわけにはいかず、目をそらしました。宴席にはある市長もいて昭恵夫人に熱く市政を語っていたんです。すると昭恵夫人が立ち上がり、私の耳元で『あの人、しゃべりすぎ~』と言って帰りました」
さて、これまで昭恵夫人が「心酔」した男の中には、危険な存在もあった。国会議員の政策秘書をしていた作家の朝倉秀雄氏が語る。
「安倍総理がまだ幹事長だった13年ほど前、大分の湯布院で開かれたコンサートで、中国の弦楽器・京胡の奏者である呉汝俊(ウー・ルーチン)(53)と出会いました。日本でメジャーデビューしていますが、実は中国政府の情報機関に所属する工作員でした」
呉氏は63年南京生まれで、25歳の時に21歳年上の日本人女性と結婚。「夫」が総理になる存在だと見越して、早い段階から昭恵夫人に近づき、それ以降、呉夫妻のホームパーティに招待するなど、親交を深めたという。
「呉の目的は安倍総理の健康に関する情報。昭恵夫人が機密情報を知る立場にいなくても、健康については詳しい。何気ない会話の中から探っていたのです。工作員という情報が広がると、呉は姿を見かけなくなりました。脇が甘い昭恵夫人に近寄る男は多く、今後も安倍政権を揺るがす事態が起きてもおかしくありません」(前出・朝倉氏)
「安倍一強」時代に“アッキーレス腱”が最大の脅威になってしまった。