ところで、マット氏の素性がわかってくると、よく知りもしない相手を信頼した昭恵氏の軽率さが浮き彫りとなってくる。
「マットと吉松が交際したきっかけは、マットからの誘いです。六本木にある芸能人御用達の複合書店で声をかけたといいます。いつもの手口で、実は川田アナもここで声をかけたのが始まりだったそうです。吉松を誘った時期は、川田アナが亡くなられて少ししかたっていなかったと‥‥」(芸能プロ幹部)
その当時はまだ無名のモデルだった吉松だが、12年10月に日本人初の「ミス・インターナショナル」を受賞して時の人となる。
しかし、まさに吉松の一世一代の晴れ舞台となった同コンテストの開催地・沖縄から、なんとマット氏を非難する声が聞こえてきた。
「マット氏は勝手に同行してきたと思いきや、『盲目だ』と主張して、航空機やホテル代金の割引はもちろん、さらなるサービスまで要求していました。おまけに、原状回復できないほど部屋を汚していたんです。激怒したホテル側が修繕費を請求したのですが、逆に『人権侵害だ!』と恫喝していました。吉松は我関せずといった顔でしたね」(イベント関係者)
いや、本当に盲目なのはマット氏を信じ込む昭恵夫人の“激情”だろう。
「12年6月には、ロンドンブーツ1号2号の田村淳がMCを務め、著名な文化人がゲストとして訪れるラジオ番組に、突如としてマット氏が出演して映画の宣伝をしていきました。実は昭恵夫人の口添えによるキャスティングだったんです」(ラジオ関係者)
マット氏の悪評だけは耳を素通りするかのように、昭恵夫人は以降も活動を活性化させていった。
前述したA氏を糾弾する記者会見後には、吉松が立ち上げたプロジェクト「STALKER ZERO~被害者が守られる社会へ~」にも賛同者として名を連ねている。
おまけに15年11月に刊行した著書「『私』を生きる」(海竜社)においては、安倍総理が〈「大丈夫だよ、俺が守る」と言ってくれました〉と、吉松の一件に国の支援まで取り付けたかのような記述も見られるのだ。
ところが、16年2月に一転。吉松がこれまでの被害や発言を撤回し、謝罪する形でA氏と和解したのである。
「16年3月には、第三者を介して昭恵さんはA氏と会ったそうですが、その場で『すいません、よかれと思ったんです』と平謝りするばかりだったといいます」(前出・芸能プロ幹部)
ようやく自身のあさはかさに気づいたか、次なるバクダンの爆発を恐れるように、マット氏との関係も深かった「長州友の会」はホームページへのアクセスを遮断している(3月31日時点)。
「マットも籠池と似たような虚言癖の人間ですよ。総理夫人という立場をあらためて自覚し、周囲の人間を疑うことを覚えなければ、また同じことが起きるでしょう」(地元有力者)
これらの疑惑について昭恵夫人の携帯に取材を申し込んだが「のちほど折り返します」という留守電メッセージが流れるばかり。メッセージを残すものの返答は寄せられなかった。
さすがに全てを夫人付き政府職員のせいにはできない。