「ヤフーをインターネットの大スターにしたい」
いちはやくインターネット革命の始まりを察知。自身が買収した米コンピュータ関連会社に、次にどのIT企業に投資するかを選ばせた。時に情熱的に、時に緻密な計算をしながら、リスクをとって検索サービス会社ヤフー・ジャパンを立ち上げるまでの全内幕!
「これはおもしろい会社だよ」
ソフトバンク社長の孫正義は、世界最大のコンピュータ関連展示会・コムデックスを買収後、初めてラスベガスで開かれるコムデックスショーにのぞんだ。ショーはラスベガスのコンベンションセンターなど8カ所を借り切って、1995年11月13日から5日間の日程で幕を開けた。
孫は、コムデックスショーの最中、出版部門を買収済みのコンピュータ関連会社のジフ・デービス社長であるエリック・ヒッポーに言った。
「これから間違いなくインターネット革命が始まると思う。ソフトバンクはこの革命の入り口のところで、これから伸びるであろう会社100社ほどに資本参加したいと思っている。まずそのうちの1社を絞って選ぶとしたら、どの会社だと思うか。ジフ・デービスではインターネットに関する何千にもおよぶ膨大な記事を書いているはずだ。それをぼくが一つ一つ読んでいる時間はない。その中からソフトバンクとして投資するべき会社を一つ絞り込んでほしい。これがジフ買収の重要な理由の一つなんだ」
エリックは答えた。
「だとすると、ヤフーだね。これはおもしろい会社だよ。インターネットの検索サービスをする会社だよ。インターネットにはなくてはならないものだ。ジフ・デービスも業務提携しようと思っているが、われわれだけでなく、ソフトバンク本体も力を入れたほうがいい」
孫はネクタイも締めずスーツも着ないラフなかっこうで、エリック・ヒッポーや部下の井上雅博(のちのヤフー・ジャパン社長)を連れてヤフーに出かけた。
ヤフーのあるカリフォルニア州のシリコンバレーに着いた時には夜になっていた。ヤフーの創業者である台湾出身のジェリー・ヤンと白人のデビッド・ファイロは、コムデックスやジフ・デービスを傘下に収めているソフトバンク社長の孫のことを知っていたらしい。似合わないスーツ姿で孫を出迎えた。
2人とも27歳と孫よりも11歳も年が若い。半年前まではスタンフォードの大学院生であった。2人は、大学時代に電話帳を意識したインターネットのホームページ集を作成した。それが教授の眼にとまり、ビジネスにつながったのである。
ヤフーには5人か6人の社員がいるだけだった。始めたばかりでまだ利益すら上がっていない。しかし、オフィスには活気があふれていた。孫は自分が創業した時のことを思い出した。〈ぼくが始めた時には、2人しかいなかったな〉
孫は、ミーティングルームの椅子に腰を下ろすとあぐらをかいた。ヤンは、デビッド・ファイロと顔を見合わせるとニコリとした。まったく飾らない学生風な孫に好感をもったらしい。自分たちもネクタイをはずしてミーティングルームの席についた。
孫は、初々しさすら感じる2人に対して言った。
「ぼくも、きみたちに5%出資させてもらうよ」
さらに続けた。
「それから、日本でジョイントベンチャーをやろう。ぼくのところが単にぶら下がるのではなく、リーダーシップを発揮して積極的にやる。お前さんのところはアメリカのことで忙しく、日本どころじゃないだろう。でも、日本を放っておくと手遅れになる。だったらわれわれと手を組んで、われわれが作業の大半をやる。どうだ」
「それはいい」
「ついては、日本法人の資金はこちらで用意する。出資比率は6対4。そちらで出す4割の分もこっちで貸与するから安心してくれ。キャッシュも出さなくていい。開発も移植も、そっちの人間を送り込まなくていい。こっちからアメリカに人間を派遣して、あとは開発や作業はこっちでやる。資金も人間も何も割かなくていい。割くのは思想と考え方のプロセスだけ。それをこちらに伝達してくれればいい。おれは必ず1年目から黒字を出してみせる。とりあえず本体に5%出資してそこから徐々にジョイントベンチャーを始めるとして、またあとでディスカッションしよう」