「夜道を歩くのは危険だぞ」
06年10月1日からは、携帯電話のブランド名を、「ボーダフォン」から「ソフトバンク」に変える方針も決まった。店舗も真っ白に変えることを決めた。
営業部は、かつて「Yahoo! BB」の拡大戦略の際に大きな原動力となった、駅前で赤い袋を下げたキャンペーンガールがツールを配る、いわゆる「パラソル部隊」に所属していた社員も組み入れた。
ソフトバンク生え抜き社員たちの活気ある進め方に、もとからのボーダフォン・ジャパン社員たちは、度肝を抜かれた。これまでよりも給料は下がる。それなのに仕事は3倍となる。
ボーダフォン・ジャパンは外資系企業ということもあってか、とにかくひとりひとりの給料が高かった。秘書でも年収一千万円近くもらっている人もいた。
副社長の宮内謙は意識改革のために吠えた。
「あなたたちが持っているエリートキャリア的な気持ちは、捨ててください。ソフトバンクモバイルは、あくまでも販売会社です。売ってナンボだ! そのことを、肝に銘じてください」
営業本部を3つに分け、ソフトバンクがかねてから導入しているチーム別の利益管理を導入することはもちろん、営業部ごとのデータを毎日出した。売り上げを競わせたのである。
そのうえ、毎週火曜日の会議で、各営業部からの報告を挙げさせ、成果や反省点を検討した。
この会議には、孫正義も参加し、営業部門、技術部門、端末部門が勢揃いし、少なくとも半日、長い時には一日がかりで議論した。その時に挙がった課題はその場で決定し、翌週には実行に移した。
一方、全国のボーダフォンの店舗を徐々に白に塗り替え始めた。それが、9月の終わりまでかかった。
秋には、イメージチェンジした新たなブランドを出した。
量販店での販売スペースも拡大した。ボーダフォン時代には、NTTドコモ、auに比べると貧弱で、長机ほどのスペースをWILLCOMと分け合っているだけであった。販売力を上げるには、あまりにもお粗末すぎた。
宮内は、宣言した。
「量販店での販売は、ソフトバンクモバイルが仕切る」
当然のことながら、それまで量販店を仕切っていた商社からは反発の声が上がった。
ある時期、ある企業の会長からは「夜道を歩くのは危険だな。嫌われているよ、きみ」と、冗談ともなんとも言えぬ言葉をささやかれたこともあった。
宮内は、商社には、ソフトバンクのショップの一部を任せることで納得してもらった。
当時、ソフトバンクモバイルの売り上げのうち、量販店でのシェアは十数%だったのが、四十数%にまで伸びた。