画面いっぱいに真っ赤な唇が大写しになり、低音で響く「プレイガール」のナレーション。70年代に大ヒットしたアクションドラマで、ユッコを演じた桑原幸子(69)が舞台裏を明かす。
──69年にスタートした「プレイガール」(東京12チャンネル=現・テレビ東京)は、74年まで全287話も放映されていますね。
桑原 そのあともメンバーを代えて「プレイガールQ」と続いたわね。
──あの昭和天皇も視聴されたという貴重な記録が残っています。女ばかりの国際秘密保険調査員のチームが、アクションあり、お色気ありで事件を解決してゆく爽快感がウリでした。
桑原 最初のメンバーは肩書のある女優をそろえていたわね。應蘭芳(79)は「失神女優」だし、真理明美(73)は「モンローのような女」でしょ。そして私は「カレンダー女優」だった。
──カレンダー女優とは?
桑原 私、19歳で自分のカレンダーを作ったの。土門拳さんとか秋山庄太郎さんとか巨匠の方々が撮ってくれて。皆さん、無償で撮ってくれたから、いわゆる“兄弟”じゃないかってウワサされたくらい(笑)。
──そのカレンダーが飛躍のきっかけになったんですね。
桑原 そう、雑誌にも載ったし、所属していた東映の大川博社長が「お前たちも幸子の売り込み方を見習え」って宣伝部員にハッパをかけてたよ。
──さて「プレイガール」ですが、男相手に派手なアクションを披露する女優ばかりですので、舞台裏もバトルでした?
桑原 それはもちろん、化粧前でイスを持って「バカヤロー!」なんてケンカはあったわよ。でも、すぐにケロリとしちゃうのも私たち。それがあったから何十年も定期的に集まれたのかもしれないわね。
──5年以上のロングランシリーズで、印象に残っている撮影はありますか?
桑原 温泉旅館とタイアップしてのロケも多かったけど、そういう時は必ずお風呂につかりながら「今回の事件なんだけどさ」と言うのがお約束(笑)。あと、ケガは当たり前。私は氷の上で転んで尾てい骨を折ったし、西尾三枝子(69)は利根川に飛び込んで、バイ菌に感染して入院したこともあったわよ。そうそう、ゲスト出演が多かった郷えい治だけど‥‥。
──92年の死去後に、ちあきなおみがショックで歌手を引退するほどほれ抜いた亡き夫ですね。
桑原 その郷ちゃんがメイク室で「オレはメンバー全員とヤッたぜ」と言ったものだから、大騒動よ。誰もが「私は違うわよ!」ってムキになって(笑)。
──幸子さんは?
桑原 すでに夫(作家・西木正明氏)とつきあいだしていたから、私はなかったの。メンバーの中にはスタッフと結婚した子もいるし、いろんな出会いがあったドラマだったわね。
──そして現在は、父親のあとを継いで「京浜ラバー」という会社の社長を務めていらっしゃる。
桑原 父親の代から数えると、50年以上続くゴム製品の二次卸の会社ね。このご時世だから厳しいことは厳しいけど、何とかしのいでやっていくしかないわね。