2000年11月1日、東京都では全国に先駆けて「ぼったくり防止条例」が施行された。実はこの条例ができるきっかけを作ったのも影野氏だったのだ。
99年、「Kグループ」摘発で影野氏は逮捕・起訴され、警察から拘置所へ単独押送される車の中で、新宿署生活安全課の担当刑事がつぶやいた。
「お前のおかげで、ぼったくり防止条例ができたよ」
条例ができる契機となった摘発事件は「梅酒1杯15万円事件」と言われた。
影野氏が回想する。
「その客は、東北弁で宅八郎(オタク評論家)みたいな感じのロン毛の風俗オタクだった。風俗雑誌をリュックに何冊も持っていたよ」
ヘルスに行こうと、キョロキョロしていたところをキャッチに捕まり、影野氏の店に連れてこられた。それでもホステスの乳はさんざん揉んだが、請求の金額24万は高いと言って払わない。6時間近くも支払いを拒否し続けた。
「少々頭にきて『そのウザい髪を切れぇ!』って、オタクにハサミを突きつけてしまった。『このことを親に言うぞ。金払わないなら警察行くぞ』って言ったら、オタクは『勘弁してください』って払ったんだ。東北までの汽車賃も必要だろうと15万にまけてやったんだけど‥‥」(影野氏)
被害者は酒が弱かったため、勧めても梅酒を1杯しか飲まなかった。ところがその後、交番に駆け込みこう訴えた。
「ハサミを首に突きつけられ、ボコボコに殴られた」
東北訛りで純朴そうに見えるオタクの話を真に受けたのだろう、と影野氏は述懐するが、風営法違反および強盗罪で逮捕されてしまう。求刑懲役8年に対し、判決は5年。控訴して懲役4年6カ月となった。
影野氏はアカオチ(刑務所に下獄)し、新潟刑務所で約4年服役する。
こうして「Kグループ」は崩壊。解散する。
「条例がなかったから強盗罪をつけられた。あったらせいぜい罰金刑でしょ? ボッタクリ店というと“暴力バー”というイメージだけど、俺の店は極力荒っぽいことはしなかった。本来、究極のボッタクリとは、客に気づかせないで料金を支払わせること。100万円請求しても、20万円しかなかったらそれで完済。1万円しかなかったら、悔しいけど客を見る眼力がなかったとして1万円で諦めるしかない。それが、俺たちのボッタクリだった」
当時をこう振り返った影野氏は現在、みずからの経験を生かし、歌舞伎町でトラブルの相談に乗るネゴシエーターとして活動をしている。
「歌舞伎町がよくぞまぁ、ここまでクリーンな街に様変わりしたものだと思うよ。いまさらながら、歌舞伎町を昔に戻せとは無理な注文であることはわかっている。だけど、せめて来た人全てが、胸にトキメキを覚えるような魅力的な街であってほしい。目をギラつかせた人があふれかえった、昔の歌舞伎町のようにさ」
影野氏がいまだに熱い思いをはせている歌舞伎町では、今日も商店街振興組合が「客引きは100%ボッタクリです!」と看板や有線放送で注意を促している。
笹川伸雄(ジャーナリスト)