今年で勝新太郎が亡くなって20年が経過した。多くの名作映画に出演しただけでなく、それ以上にプライベートでの豪快な逸話は数知れず。そんな勝を間近に見てきた元マネージャーが初めて明かす女優との交流や“禁断”エピソードを以下──。
「勝プロが倒産した(1981年)直後のこと。九州朝日放送から『勝さんとスティービー・ワンダーとの対談をお願いしたい』という電話が入った。もしかしたら相手は勝プロが倒産したことを知らないんじゃないかと思って『実はうちは倒産したんですが、ご存じですよね?』と尋ねると、社長さんに電話を代わってね、『御社の倒産は存じ上げていますよ。でも、勝さんの芸が倒産したわけではありませんよね?』と。あの言葉は今も忘れられないね」
そう語るのは、勝新太郎の元側近マネージャーだったアンディ松本氏(67)=本名・松本篤=。映画「座頭市」や「悪名」などで一世を風靡する一方、破天荒な私生活でも昭和芸能史に数々の伝説を残した怪優、勝新太郎を、身近で最もよく知る人物だ。
97年6月21日に勝が亡くなり、今年で20年の歳月が経過する中、アンディ氏が哀惜を込めて描いたエッセイ「勝新秘録 わが師、わがオヤジ勝新太郎」(イースト・プレス刊)が上梓された。元側近だけにこれまでの知られざるエピソードが満載だが、そもそもアンディ氏と勝の出会いは、京都の高級クラブ「ベラミ」だった。
「ベラミ」といえば、三代目山口組・田岡一雄組長襲撃事件の舞台として知られた場所だが、当時、アンディ氏は得意の語学力を生かし旅行会社に入社したものの人事抗争に嫌気がさして退社。送別会の会場で、たまたま勝と出会ったのだった。アンディ氏が振り返る。
「ふと目の前を見ると、勝新太郎がいる。思わず『大ファンです!』と言うと、オヤジ(アンディ氏は勝をそう呼ぶ)が『そうかい。あとで飲みに来い』と‥‥。そこで挨拶に行くと『お前さん、いい目しているね』って言われてね。『役者はメイクアップするし、衣装も着て演技もする。だけどな、一つだけできないことがあるんだよ。目だよ、目。目だけはメイクアップできない』って」
初対面で、勝の眼鏡にかなったのか、後日、東京・赤坂にあった伝説的なクラブ「ラテンクォーター」にいる勝の付き人から連絡があった。翌日から即、マネージャーとしての日々が始まったという。1978年のことだった。